いつだって成長の種: フルーツバスケット

スルメ好きですか?

 スルメおいしいですよね。カラシマヨネーズつけて食べるの最高♪

 高屋奈月さんの「翼を持つ者」を読みました。それについても後ほどき書きますが、その中で高屋さんは現在はフルーツバスケットを描いていて、スルメみたいな話を描きたいとコメントに書いています。

 まさにスルメ。読めば読むほど、気づくものがある − そんなお話。なんどもなんども絶望から救ってもらいました。

 つきあいは5年前?絶望の淵にいたときに知りました。買おうかどうか迷っていたとき、本当の思いやりとは何か?それを考えさせてくれるというようなコメントがどこかに書かれていたような気がします。

 最初は1巻だけ買ってみて、主人公の透君の言葉に癒されて、感情移入して、そしてすぐに残りを買いました。

 繊細な心理描写と、繊細な胸を打つ言葉と、はじめから完璧に組まれていたかのような見事な伏線の張り方(100話以上、7年以上先になって明らかになることも多々あったり、小さな一コマがあとで効いてきたりと・・・)。

 言葉の力を知ったのはフルーツバスケットがあったから。挙げだしたらきりがないくらい素敵な言葉で満載なのです。

大人も子どもも大して違わない

 最近、少し心理学をかじってからはより深くわかるようになりました。より深く共感できるようになって。何年もあとであの言葉が意味するところはこういうことだったのかも?と何気ない言葉に打たれて。まさにスルメですね。こういうのは並大抵の人ではできません。

 人間ってありのままの自分を受け入れてくれた人が出てきたとき、初めて強くなれるんじゃないかって思います。子どもが自立する過程では、たっぷりの親の愛情があって初めて、恐れを克服して歩き出せるといいます。それと同じなんだって。

 大切なことは、本当は大人も子どもと同じだということ。そしてみんなどんな人も深層ではそんなに変わらなくて、やっぱり同じ人間なんだなってこと。大人は子どもをある種バカにしているというか、子どもだからわからないとか思っているのかもしれませんが、そんなことはないんだなって思います。

 そのことも高屋さんはきちんとわかっていて −

子ども相手になら
何言ったってわかりゃしないと思ったのかね
馬鹿だねぇ
子どもは大人の言うことを
ちゃあんとわかっているのにね
それが好意か悪意かくらい
ちゃんとわかっているのにね

− こんな風に書いていました。ここだけだと全然説得力がありませんが、うまく話に絡めてあるのが素敵です。

 どうしようもないとき、自分を見つめ直したいときに何度も読みます。忘れていたことに気づきます。そしてまた一歩成長します。自分で自分を育てている感じで、ちょっとだけ嬉しくなります。いつだって成長の種です。

 自分もいつか、いつか透君のような人になりたい。常に常にそう考えています。どんなことよりも一生の目標。