最近は、少しは本を読むようになっている。学部時代以前と比べたら、格段の進歩だと思う。ではなぜ、自分が読書をしてこなかったのか?ということについて考えてみた。
お金がない
これは自分の中では確かに相当大きな理由だと思う。家にあまり本はなかったと思う。やっぱり環境というのは非常に大切で、家に本が置いてあるかないかというのはかなり重要なのではないか?
ただ、これには反論がある。図書館に行けばよいのでは?という至極当然な。これについては次項で考える。
なにを読めばいいのかわからない
確かに図書館に行けばいい。ただ、図書館に行くと面食らうのかもとも思う。なにを読んだらいいのかわからない。誰かに決めてもらわないといけないというのは、何とも情けない話だと思うけれど、これも結構大きい理由なのではないかと思う。それとともになにを読みたいのか?という根本的なことすら自分自身がわかっていなかったのかもしれない。たしかに、書店や図書館で探し回るというのも、読書?における楽しみのひとつであるのだけれど。
そうなると、家にあるのとないのとでは違う気がする。家であったら試しにちょっと読んでみて、ということが気軽にできる。別に、図書館であってもそれはできるのではないかといわれそうだが・・・。
スタートって大事。今でこそ、ある程度数珠繋ぎになって、他に似たようなもので読みたいというのがわかるようになる。
究極の面倒くさがり
自分は、究極の面倒くさがり。図書館に行くのはまだいいけれど、返しに行くのは本当に面倒。それもかなり大きいのではないかと思う。今考えると、図書館で読めばいいのかもしれないが・・・。
読書の大切さについてまるで気づいていなかった
本当にわかっていない。でも、それはある意味仕方なかった気はする。
それを打破して・・・
それを現在はある程度打破できるようになった。その理由を挙げるとすれば
- ある程度の財力がもてた
- インターネットのおかげである程度の定番の本を知ることができた
- Amazonのおかげで楽に買えるし、ある程度の評価はわかる
- 読書の大切さに気づいた
こんなところでしょうか?今では、Amazonのウィッシュリストはたまりにたまり・・・本当に困っている状況です。
うーん、それにしてもあまり中身のある記事ではないなぁ。