自信を持つということ

 先日、資生堂の方のTSUBAKIのマーケティングのお話を聞きました。もとより、マーケティング、広告、コピーライターなどに興味があったので、楽しみにしていたのですが、期待を大幅に上回る内容でした。

 後でほかの方の指摘で気がついたのですが、その方は非常に自信を持っていらっしゃる。そして、だからこそ、これ!と決めて猛進していける、そんな感じでした。

 その飲み会の席で、企画に参加した先生ともお話をしたのですが、自信というのは自分で作っていく、作っていけるものなのではないでしょうか。残念ながら確証はありません。確証はありませんが、限りなく真理の匂いがします。

 そんなことをつらつら考えていて、三つの言葉が思い出されました。

 一つ目はWalt Disneyの言葉。

夢を現実にする方法を知る者にとって、高すぎる目標はありえないのではないか。秘密は4つのCにあるようだ。好奇心(curiosity)、自信(confidence)、勇気(courage)、そして一貫性(consistency)だ。そのなかで一番重要なのが、信じる時には、徹頭徹尾それを信じて疑うな。ただし、騒々しくならないように。

Walt Disney

 二つ目は松岡修造の言葉。

何が来ても強いイメージを持って、自分が一番だっていう想いを、どうにかして表現できる力を持ってほしい

松岡修造

 そして、三つ目はどこかの本で読んだ、本当にうまくいく場合というのは根拠のない自信があるときという言葉。これは、すごく自分で納得しました。

 薬学部への入試(ほかのところは全く自信がなかったけれど、唯一受けた薬学部は絶対の自信がありました。落ちるはずがないと)、薬剤師国家試験(これも卒業試験ではぼろぼろでしたが卒業できると思っていたし、国家試験にも受かると思っていた)、大学院入試と試験ばっかりですが、根拠のない自信があるときはもれなくうまくいっている 1

 本当に創造的なことをしていくとき、それは前例がないことです。答えがない。誰も正解を知らない。誰も保証はしてくれません。もし、周りの人間が動いてくれるとして、自信がない人に対して動いてくれるのか?といわれれば、たぶんNoだと思われます。そして、ほとんどのことは一人では出来ない。であるならば、もう自分で自分を励ますしかない。自分で自信を持ち、周りを励ましていくしかない。

 これは、こと恋愛でも変わらないことのように思います。いつも引用するココヴォコ図書館のすばらしい言葉です。

多くの場合、「愛情への渇望」と言うのは、「自己存在に対する不安」と表裏一体をなしている。自分が何者かわからない。自分がどのような価値を持っているのかわからない。だから、他者に愛されるということにおいてのみ、自分の存在を安心できる。我々はそのような状態に陥りやすい。ニーチェ風に言うならば、これは愛の流刑地ならぬ、愛のルサンチマンだ。ルサンチマンとは、単に「ねたみ」だけを表すのではない。原義でいうならば、感情が逆転していること、すなわち、常に相対的な評価でしか、感情を作りえないことを指す。この場合、常に他者から「愛される」ことにおいてのみ、自分の存在が安心できることを、指している。だけど、そういう風にやっていると、いざすべての他者がいなくなったときに、誰が一体あなたの存在を受け入れるのか。自らの存在を受け入れるのは、結局自分自身でしかないし、世界の中心で叫ぶべきは、他者愛ではなく、自己愛であると僕は考える。

 わたしには、これらが一つの真理に対するアプローチの違いにしか思えません。

 であるからして、自分はどうしたらもっと自信を持てるのか?、もっと自信を持っていこうということに対してコミットメントをすることにするのです。松岡修造のいうように世界へ行けるんです。

  1. え?失敗した時を覚えていないだけだって? []