書評: 京都流 言いたいことが言える本

 京都に行ってきて、京ことばの美しさに触れて、積ん読にしてあった京都人の人付き合いの本を引っ張り出した。

京都流 言いたいことが言える本
著者: 市田ひろみ
ページ数: 221ページ
出版社: 講談社
発売日: 2006年10月21日

 帯にはこんなことがかいてある。

笑顔で「おおきに」
角を立てないひとことが
京都流おつきあいの極意

はんなりと自己主張

まったくうまい要約である。

 「ぶぶ漬けいかがどすか?」で有名なように、京ことばはなるべく真意を明かさない。ほかにも褒めているのか、嫌みを言っているのかどちらにもとれる言葉を使ったりする。内輪でしか通じない。それが京ことばの敷居の高さを感じさせる。

 京都は1,200年もの間、平和ではない時代など様々な時代を通してきた中で、真意を明かさないことで、どちらに付くかをあからさまにしないことで繁栄を保ってきたと作者は分析する。「敵を作らない」ということが京都の合理性であったのだ。

 この本は「八方美人でええやないか」という節から始まる。自分は「八方美人」という言葉を作った人が嫌いだった。うまく書けないが、私にだけ優しいという人は、いざそういう関係がなくなったときに優しくなくなるのだと思ったから。ほかには、フルーツバスケットの影響も多分に受けているのだろうか?

 敵を作らないために、敢えて八方美人になる。そのために、京ことばの基本は「相手に恥をかかせないこと」だと筆者はいう。たとえば、こんな風である。

 京都には「角掃き」という習慣がある。今はだんだん薄れてきた習慣だけど、私の子どもの頃には、まだこの習慣が残っていた。
「角掃き」というのは自分の家の玄関前の道を箒で掃くときに、きっちり家の敷地の分の幅だけ掃くことをいう。
 間違ってもよその家の前の道は掃かないのだ。
 よその家の前まで掃いてしまうと、
「あなたんところは掃除をしてはらしませんね」
と、恥をかかせることになるからというのが、その理由やねん。

 相手に恥をかかせないために、嫌なことがあっても笑顔とうまい言葉で一度相手を立たせた上で、でもはんなりと自分の伝えたいことは伝える。直接的ではないから、相手も頭にくることはないし、立てられているのだから悪い気もしないという仕組みである。だからこそ、京都の人は自分の意見を角を立てずに通すのが非常にうまいと筆者は書いている。

 そんなことができるのは、昨今の言葉で言えば京都人が空気を読むのがうまいからであろうか?「空気を読め」という論調は、「空気を読め = 自分のいうことに従え」ということだと思っているので、非常に押しつけがましいというよりも暴力的だとさえ思っている。しかしながら、「おもてなし」として自分の方から空気を読むということは非常に大切だと感じた。

 人付き合いは大変だけれど、人は一人では生きていけないのだから、やらなければならない。京都の人はそれをきちんと分かった上で、だとしたらどうしたらもっと気持ちよくできるか?ということを考えて上で京ことばができあがったのかもしれないと感じた。それは、非常に機転の利いた「おもてなし」であったのだろう。

P.S.
 それにしても、この「はんなり」という言葉、言葉自体の雰囲気、発音自体が優雅さを表しているのがすごいなぁと感じる。