書評: 能動的想像法 — 内なる魂との対話

能動的想像法 — 内なる魂との対話
著者: J. Marvin Spiegleman
ページ数: 227ページ
出版社: 創元社
発売日: 1994年11月

 この本の中で出てくる、ユングの弟子フォン・フランツの言葉「真の反応は倫理的な対決を含むものである」という言葉がどういう風にとって良いのか、わからない。いつも書いているように「正義」や「正しさ」と闘うことが真の反応であるということなのだろうか?

 その前に無意識はなぜくらいイメージを持っているのかということについて疑問だった。少し考えてみると、もしかしてこの倫理的な対決ということが重要なのかもしれない。心それ自体は特に倫理的なものはもっておらず、全体であり完全である。しかしながら、倫理というある一定方向の抑圧として、それ以外の暗い部分というものは無意識において抑圧せざるを得なくなる。そうすることで、人が無意識とふれあう場合においては無意識はことさら暗い部分を強調せざるを得なくなるということだろうか?

 閑話休題。

 ユングはフロイトと袂を分けた際に、かなり陰鬱状態になった。その状態を克服するときに生み出されたのが能動的想像法(active imagination)だった。この本は能動的想像法がどのようなものであるかを著者の体験を交えて示すものである。

 能動的想像法は意識的に夢を見るようなものであるのではないかとわたしは解釈した。つまり、たとえば夢に出てきたものを出してきて、それがどう展開し、変化するかを見つめるということである。人間が出てくればそれが語りたければ語らせる。べつに、語るのは人間でなくとも良くて、著者の場合、壁であることもあった。そして、それを記述していく。このようにして無意識を分析し、そして無意識自身に分析をさせると書いている。

 著者の場合には、この能動的想像法を行っているうちに騎士が現れ、これから語る物語を書き記すようにいわれている。ただしこの場合には、著者は降ってくるものをそのまま書き記すのではなく、きちんと意識を使って対話をしながら物語へも介入を行うのである。

 この本の最後には、この騎士によって語られる「生命の樹」という物語の序章のようなものが載っている。なかなかファンタジーとしておもしろいのだが、やはりただのファンタジーよりも心理的な教訓性を感じざるを得なかった。読もう読もうと思って未だに読んでいない、ユングの「ヨブへの答え」裏表紙に書かれている、「ヨブは神自身でさえ気づいていない神の暗黒面を意識化した」というようなものも感じた。

ヨブへの答え
著者: Carl Gustav Jung
ページ数: 193ページ
出版社: みすず書房
発売日: 1988年03月

 さらに、何度となく統合という言葉が出てきたのが非常に気になった。やはり西洋の人(一神教という意味で使っている)にとっては統合して1になるというのは、そうでない人以上に特別な意味を持っているのではないかと強く感じた。

 統合ではなく我々にはハーモニー、調和があると河合隼雄は語ったように憶えているが、どちらにせよ自分の中に悪を見出しそれをも受け入れていくという姿勢は非常に大切であると思う。

 能動的想像法は自我の強い人が行うと、でっち上げているような気がするそうだ。たぶんこれ本当に自分のイメージから出てきたの?無理矢理にして話を作っていない?ということだと思われる。そのため、本書では子どものように遊ぶ箱庭療法を一緒にやることを推奨している。

ユングがやったことは、自然にわいてくる想像的な衝動に従うことでした。たとえば、石で遊ぶことなのです。またユングは小川の流れる箱庭を造り、それで終生サンドプレイをしました。一つの方法は、彼と同じことをすることです。自分のなかにある遊び好きな子どもの声や気分に耳を傾け、それがやりたがっていることを、愛情をもって、しかし意識的に行うことです。やがて、魂の現実性をもう一度感じることができるようになります。

 このようにユングは終生箱庭療法をやっていたというか遊んでいたようである。この本を読んで、無性に箱庭を作りたくなり、インターネットで箱庭療法に使われる箱庭の値段を調べてみたのだが、かなりの値段200,000円とかするようである。やはり、こういうものはそういう場所に行ってやるものなのだろうか?この値段だと、遊んだあとにつまらなくなったからやめたと思いづらい。認知的不協和に陥りそうである。

 目標まで残り193冊。