本は売らない

 時々、本を売らないの?といわれるのですが、基本的には売りません。読んで本当に腹が立った本、たとえばあの糞本「脳の中の水分子」とかは売りましたが・・・。

cocoa*life » 説明が少なすぎる: 「脳のなかの水分子」

 あと、ほかの本で本当に代替の効く本、たとえば「決定版 はじめてのC++」とかは他の人にあげました。この本は悪くはないのですが、如何せん記述しているC++の範囲が狭い。テンプレートとかが出てこないのです。これはほかのC++の本で代替が効きます(たぶんね)。

 よく考えると、最近は注文する本にはすべてフィルムコートなんてしているので、売ろうにも売れないかもしれませんね。

 なぜ本を売らないのか?というと、まずこれは自己満足であるけれどもコレクションですね。しかも、自分は本棚を眺めていて、あ、あの本のここをもう一度読みたいということが結構あります。そういうことができなくなるというのは本をわざわざ買うっていうことの意味であるので、絶対に譲れない。

 さらに、かぶっているように見えている本でも実は1割とはいわず1分の部分にオリジナリティがある場合があったりするので、単純にこれはほかの本で代替が効くからというようにはいきません。

 もしくは逆にいうと、かぶっているということが重要であったりします。これとこれはかぶっているからもしかしたら重要なのかもしれないということや、かぶっているからこそ、何度も読むことによってそれの意味が浮かび上がってくる。そういうことを繰り返すためにも、かぶっている本も必要だったりします。

 先に出した「決定版 はじめてのC++」はほかのC++の本が遙かに深く書かれているため、浅く書かれている(それは決して悪いという意味ではない。最初の理解には最適であるかもしれない。)その本はもはや必要ないかなと思いました。

 とかいいつつ、一見浅く見えた本でも、年月を経てから見直してみると、意外とそのときには気づかなかったこと、もしくは現時点の自分が忘れてしまっていたことも出てくるかもしれません。ぱっと見たときにそういうことを思い出す可能性もあります。

 延々と書いてきましたが、要はタイトルにもあるとおり本は売りませんということです。置き場所があるうちは。