川田亜子さんが自殺した件について

なんだかよくわかりませんが、表題の川田亜子さんが自殺してしまった事件が頭にこびりついています。
川田亜子さんは昨日知ったばかりで、というわけで特にファンというわけでもないのですが。

彼女が最近blogに書いていた、生きる意味について聞いてしまったということが引っかかっているのかもしれません。
自分も人ごとではないし。

私は普遍的な生きる意味はないんじゃないかと。
それは残念ながら他の誰かが与えることはできないし、自分自身で見出していくしかなくて。
それは生まれたときに課せられた課題(なんか馬から落ちて落馬したみたいな表現だな)なのかな。

今まで漠然とこれが私の生きる意味と思っていたところで、それが崩れるようなことが起こってしまう。
そういうときにその課題に本気で向き合わないといけないわけで、非常に辛い。
色々な意味でそこで生死が決まって、乗り越えると遙かに成長する。
いわば改めて生まれ変わるための苦しみで、あちらの世界とこちらの世界の際々のところを行くことになるのだけれども、川田さんの場合はあちらに行ってしまわれた。

この生きる意味について他人が与えることができないけれども、一つだけできるとしたら、聞くこと。
でも、それもなかなか難しい。
下手に励ますこともできないし、そんなことどうだっていいんだって、もっと気楽に考えろとも言えない。

こういうときに周りに相談することはできなかったのか?という人はいるけれども、こういうのを言うことは簡単。
それ以前に、彼女は以前のblogでこういうことを問うてお母さんを泣かしてしまったと自分を責めている。
自分が好きな人を泣かしてしまったことで、彼女はこういうことを問うてはいけないのではないかと思ったのかもしれない。

まあ、勝手に推測するのはいけないわけで、しても仕方がないのだけれど、自分は相談される側になれるぐらい強くなれるだろうか?と思った。
どんなことを言われても受け入れられるか、客観的にいられるか。

積ん読になっているこれや

心理療法におけることばの使い方 ― つながりをつくるために
著者: Leston Havens
ページ数: 310ページ
出版社: 誠信書房
発売日: 2001年7月

以前読んだこれ

対話で心をケアするスペシャリスト《精神対話士》の 人の話を「聴く」技術
著者: メンタルケア協会
ページ数: 192ページ
出版社: 宝島社
発売日: 2006年9月20日

を読んだりして考えないとな。

死んじゃダメだというのは簡単なんだよなぁ。