哲学を持ってそれ以外を疎外するか、それとも全てを受け入れるか

(あまり文章をまとめようとか、そういう気持ちはありません、行きつ戻りつして記すのです)

タイトルのこの二つ。

哲学を持ってそれ以外を疎外するか?はたまた全てを受け入れるか?

たぶん哲学を持って、それ以外を全部疎外していたら、きっとどこかで壁にぶつかるだろう。
まったく逆に、全てを受け入れるとしたら、どこかで自分を見失いそうな予感がする。

でも、全てを受け入れることは自分を見失うということにはならないのか?
よくわからない。

たぶん一番良いのは、自分自身は哲学を持ちつつ、それを他人に強制するでもなく、全てを受け入れることなのだと思う。

ただ全てをコントロールすることはできない。
哲学の表明が、他人を怒らせてしまう可能性もある(個人的には怒りは他人が作るものではなく、自分が作り出すものだと思うのだが)。

それはまあどうしようもないか。