大切にすることと、決断すること、リスクを取ること

以前、こんなことを書きましたが、ここで書いた1秒1秒を大切にするということについて、こちらを読んでいたら全く気づいていないこと or 忘れていることがあったことに気がつきました。

渡米して最初に思ったこと(1) – 自由の本質、、、at your own risk (人のせいにしない) – ニューロサイエンスとマーケティングの間 – Being between Neuroscience and Marketing」より引用

何を引き受けたら自由を持てるかというと、僕は(自分が何かを決めているときに)決断をしているという認識、決断をする勇気、決断をしたことを引き受ける責任感だと思う。

引用元: 渡米して最初に思ったこと(1) – 自由の本質、、、at your own risk (人のせいにしない) – ニューロサイエンスとマーケティングの間 – Being between Neuroscience and Marketing

自分には全くこんな認識がありませんでした。

1秒1秒を大切にするというのは、この1秒を何に使うのかを真剣に決断するということであって、何かを捨てなければいけません。
何を大切にするか、そして何かを捨てているかという感覚を常に磨くこと。
I don’t know what I want.という状態ではどのように使うかを決めることは不可能です。

あまりにも今までの自分はそういう選択ということに無頓着すぎ、さらにそのようなメタな視点は持っていませんでした。
どのような進路を進むかというような、明らかに誰がみても選択だということが選択の本質ではなく、ただの一部分に過ぎないということ、もっと重要なのは、「本当は何を望んでいるのか」ということを感じて、その上でこの一瞬をどう使うのかということが選択。
資生堂のコーポレートメッセージに、「一瞬も 一生も 美しく」というものがありますが、「一瞬も 一生も 選択だ」というです。

また、その決断には当然リスクを取ることが必要であって、そのリスクを含めて真剣に考えるということ、それが本来の自由であるという視点は全く欠如していたものです。
書いていて、ここら辺はまだ何とも言えないところなので、もっと自分がどのように咀嚼するのか?を待たないといけないかなと思います。