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Brain Archive
書評: アタマが良くなる合格ノート術
ノートの取り方と学び方の本。
コーネル大学式ノート術は知らなかったので、参考になった。たぶん、この本のポイントは自分の理解しているところとしていないところをきっちりと明確にするということなんだろうと思う。そこさえ押さえていれば、コーネル式だろうが、ほかのものであろうがいいのではないか?
自分が今まででいちばん足りていなかったところは、そこだと思う。自分が理解したことと理解していないことを区別できない。ということは、きちんと理解していないということ。
この本はそこをしっかり区別するためにはどうしたらいいか?ということが学習の効率につながるということを示し、ノートを題材として具体的に示したのだろう。効率というと下手をすると忌諱されてしまいそうだが、そういうコツを知っておくと本質的なところにもっともっとコミットが可能となると考えられるので、重要なことなのではないかと思う。
目標まで残り191冊。
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書評: 脳を活かす勉強法
今をときめく???茂木健一郎氏の本。
読んだのは幾分前なのだけれど、確か30 〜 40分ぐらいで読めたような気がする。そんな感じだから、軽い本だし、客観的データが出ていないという批判はもっともであると思う。
本書の中で言われていることはいくつかあるが、わたしが気になったのは以下の部分である。
苦しければ苦しいほど、その後の喜びは大きく、より強化される。これが脳のメカニズムです。この「苦しい」状況を何とかして突き抜けることは、とても重要なことです。
(楽しむという点は置いておいて)脳に負荷をかける。負荷をかけることで、それになれ、いつの間にかそれが当たり前になりより高いレベルへと飛翔することができる。
これは先に挙げた、森下典子による「日日是好日 —「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」と同じなのかもしれない。
その間に、自分でも気づかないうちに、一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。コップがいっぱいになるまでは、なんの変化も起こらない。やがていっぱいになって表面張力で盛り上がった水面に、ある日ある時、均衡をやぶる一滴が落ちる。そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちたのだ。
湯川秀樹も、小さい頃祖父から漢籍の素読を教わったことが、大きな収穫をもたらしたようだ。
しかし私の場合は、意味も分からずに入っていった漢籍が、大きな収穫をもたらしている。その後、大人の書物をよみ出す時に、文字に対する抵抗は全くなかった。漢字に慣れていたからであろう。慣れるということは怖ろしいことだ。ただ、祖父の声につれて復唱するだけで、知らず知らずに漢字に親しみ、その後の読書を容易にしてくれたのは事実である。
そのような感じで最近いくつかの本を読んでいて、苦痛を与えないといけないのかな?と思うようになった。苦痛を与えて、ある程度突破した先に何かが見えるのかもしれないと思うようになった。
それとともに、もっと自分の脳を信用していいのではないか?と思っている。とりあえず訳も分からずやってみて、後は自分の脳が整理してくれるのを待つという寸法である。これは意味が分からずやるので、なかなか辛い方法ではあるのだが。そのとき大事なのはスピードではないか?と以前からいっているように考えています。大量にインプットして頭で整理されるのを待つ。
この茂木氏の本において、スピードに関することは、大量にインプットを目指すというよりも、時間を計って負荷をかけ短時間で大量に処理をするという方法をとっている。
大量にインプットして頭で整理されるのを待つという方法は、この「図解超高速勉強法―「速さ」は「努力」にまさる!」という本に書いてあったような気がする。
だいぶ話が遠いところに来てしまって、あまり書評っぽくなくなってしまった。文章ものらりくらりして下手で申し訳ない。いいたかったのは二つ。
- 負荷をかける
- スピードを上げる
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これでは伸びるはずがない
- 2008-01-01 (Tue)
- Brain
今まで、試験勉強とかなんですが、本当に嫌で嫌だーと思いながらやっていました。そのため当然のごとく集中力は続かないし、伸びない。
自分の場合は他人と比較すると萎えるので、やっぱり過去の自分自身と比較するしかないと思いました。そして、決めたところまでできたら、できるじゃんと自分にほめる。
そうやっていって負荷をかけ続けるしかないと思っています。負荷をかけ続けた先にようやく光が見えてくるのかもしれません。
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努力と才能と遊び
才能って、
「努力を惜しみなくできる力」なんです。
わたしは「努力」ということばを信じませんが、それはただ単に才能に至るような「努力」が存在するかしないかの問題だと思っているので、この言葉にかなり同意です。
超一流な才能に至るような「努力」というのは、たぶんやっている本人にとっては「努力」とは感じていないのではないか?という感じがしています。どうも「努力」という言葉に付いているイメージは、嫌々やりましたというイメージ。
対して超一流といわれるような人々にしばしば見られるのはそうではなくて、たぶんもうやりたくてやりたくて仕方がないような、そういう状況にあるのではないかと思うわけで、これを「努力」と呼ぶのはいかがなものか?と思うわけです。ですので、たぶん本人たちは遊び感覚でやっている。
もう一つここには隠されていてそれは密度。やりたくてやっている状況というのは非常に密度が高い。どなたかもいっていると思いますが
才能 = 遊び(好きの度合い)の度合い × 時間 × 密度
だと考えられます。
そういうことを思っていると、天才というのはこの才能のかけ算の各項目が常人よりも遙かに突き抜けているのではないかと考えられます。
では、この式の数字を上げるためにはどうしたらよいのかは、、、好きになることしかないのかなぁ?というありきたりな答えになりそうです///
浅いエントリになってしまった・・・。
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自信を持つということ
- 2007-12-19 (Wed)
- Brain | Life | Psychology
先日、資生堂の方のTSUBAKIのマーケティングのお話を聞きました。もとより、マーケティング、広告、コピーライターなどに興味があったので、楽しみにしていたのですが、期待を大幅に上回る内容でした。
後でほかの方の指摘で気がついたのですが、その方は非常に自信を持っていらっしゃる。そして、だからこそ、これ!と決めて猛進していける、そんな感じでした。
その飲み会の席で、企画に参加した先生ともお話をしたのですが、自信というのは自分で作っていく、作っていけるものなのではないでしょうか。残念ながら確証はありません。確証はありませんが、限りなく真理の匂いがします。
そんなことをつらつら考えていて、三つの言葉が思い出されました。
一つ目はWalt Disneyの言葉。
夢を現実にする方法を知る者にとって、高すぎる目標はありえないのではないか。秘密は4つのCにあるようだ。好奇心(curiosity)、自信(confidence)、勇気(courage)、そして一貫性(consistency)だ。そのなかで一番重要なのが、信じる時には、徹頭徹尾それを信じて疑うな。ただし、騒々しくならないように。
Walt Disney
二つ目は松岡修造の言葉。
何が来ても強いイメージを持って、自分が一番だっていう想いを、どうにかして表現できる力を持ってほしい
松岡修造
そして、三つ目はどこかの本で読んだ、本当にうまくいく場合というのは根拠のない自信があるときという言葉。これは、すごく自分で納得しました。
薬学部への入試(ほかのところは全く自信がなかったけれど、唯一受けた薬学部は絶対の自信がありました。落ちるはずがないと)、薬剤師国家試験(これも卒業試験ではぼろぼろでしたが卒業できると思っていたし、国家試験にも受かると思っていた)、大学院入試と試験ばっかりですが、根拠のない自信があるときはもれなくうまくいっている 1 。
本当に創造的なことをしていくとき、それは前例がないことです。答えがない。誰も正解を知らない。誰も保証はしてくれません。もし、周りの人間が動いてくれるとして、自信がない人に対して動いてくれるのか?といわれれば、たぶんNoだと思われます。そして、ほとんどのことは一人では出来ない。であるならば、もう自分で自分を励ますしかない。自分で自信を持ち、周りを励ましていくしかない。
これは、こと恋愛でも変わらないことのように思います。いつも引用するココヴォコ図書館のすばらしい言葉です。
多くの場合、「愛情への渇望」と言うのは、「自己存在に対する不安」と表裏一体をなしている。自分が何者かわからない。自分がどのような価値を持っているのかわからない。だから、他者に愛されるということにおいてのみ、自分の存在を安心できる。我々はそのような状態に陥りやすい。ニーチェ風に言うならば、これは愛の流刑地ならぬ、愛のルサンチマンだ。ルサンチマンとは、単に「ねたみ」だけを表すのではない。原義でいうならば、感情が逆転していること、すなわち、常に相対的な評価でしか、感情を作りえないことを指す。この場合、常に他者から「愛される」ことにおいてのみ、自分の存在が安心できることを、指している。だけど、そういう風にやっていると、いざすべての他者がいなくなったときに、誰が一体あなたの存在を受け入れるのか。自らの存在を受け入れるのは、結局自分自身でしかないし、世界の中心で叫ぶべきは、他者愛ではなく、自己愛であると僕は考える。
わたしには、これらが一つの真理に対するアプローチの違いにしか思えません。
であるからして、自分はどうしたらもっと自信を持てるのか?、もっと自信を持っていこうということに対してコミットメントをすることにするのです。松岡修造のいうように世界へ行けるんです。
- え?失敗した時を覚えていないだけだって? [↩]
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写経
物事をやるのに、写経という方法はなかなか意義深いものなのかもしれないなぁと、1年くらい前から思い出す。気づいたきっかけは今はなきベーマガ。
きっとあの頃(80年代)の凄腕プログラマはみんなベーマガを写経しているはずだと思ってる。
自分は面倒くさがりでしなかったなぁ。
誰かが言っていたような気がするけれど、最適化をかけるという意味で面倒くさがりであるのはいいけれど、本当の面倒くさがりにはなってはいけないという言葉が痛いほど身にしみるね。
きっと守・破・離と同じで、写経しているうちに無意識に「型」が出来るんだと思う。
面倒くさがらずに何でも写経しよう。写経。
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スケッチブックとフリクションボール
- 2007-12-11 (Tue)
- Brain
[lifehack]5mm方眼に思いを込めて – GoTheDistance
彼らコンサルは、必ずといって良いほど紙とペンを広げ自分の言いたいことを図式化しようとしています。私の後ろの席でひたすらペンを走らせていました。なるほど、これが彼らコンサルの全ての基本なんだな、と。図式化することでこの問題をどう捉えていくのかを構造化して分析しようとしているのが分かりました。
最初は文章の断片、コードの断片、図解の断片、キーワードの寄せ集め、仕様の断片・・・そんなもんです。私もキーワードを書いた後結局どうしたいんだっけ、って固まったことがあります。それを吐き出していく内に段々とまとまりができてきます。キーワードをつなげていくうちにひとつのストーリーになることもあれば、ロジックツリーのように要素分解できることもあれば、対立の構造が見えてくることもあれば、タスクプランがかけている時もあれば、ヌケモレがわかることもあります。言いたいことが輪郭を帯びて見えてくるようになります。
まさに、化学反応が起きるんです。
これに激しく共感というか同意しました。まだまだたいしたことは出来ていませんが、これをやっていると楽しくて仕方がないのですよね。まだまだやり始めたばかりなので、どんどんはき出すことが必要かなぁと感じています。
自分は最近、スケッチブックと消せるボールペン、フリクションボールを使っています。わざわざ消せるボールペンを使う理由は、細かいところにこだわってしまう自分、たとえば字を間違えてしまったりして横線で消すのが嫌で、そんなことでやる気をなくしたくないからです。
じゃあ、シャーペンを使えばいいじゃないといわれるのですが、シャーペンで書いた後は汚れやすいんですよね。だったら、ペンの方がいいのです(自分は)。
ペンで書き出さないと、もしくはこういうように文章にしていかないと実は何も考えていないのではないかと思えてきています。最近、こまめにblogを更新しているのもこのためです。twitterもこのためのツールだと思っています。
その話題とは少し異なりますが、最近、学習方法についてなのですが、物事を深く追求していくためには、もしかしたらあのプログレッシブjpegのような最初はぼんやりした図を作るけれども、だんだんとそれが詳細になっていくというやり方をするべきなのかなぁと思い始めています。
それは行間を埋めていくような、やり方。そうして、だんだんと詳細な図を描くことは出来ないか?と考えているところです。
これで結果も出ていれば、説得力もあるんですけどね・・・(笑)。
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アンフェタミン/メタンフェタミン
- 2007-12-08 (Sat)
- Brain | Life | Pharmaceutical sciences
PCR でノーベル賞とったマリス博士は、子供の頃に鼻づまりが酷くて、毎日アルコールで溶いたアンフェタミンを吸入しながら授業を受けたらしい。「素晴らしく集中できた。覚醒剤は頭を活性化する」なんてインタビューで答えてた *Tw*
アンフェタミン 1 で爆笑しました。ほんとかいなって・・・。自分は犬のように数時間おきに眠くなる傾向があるので(過眠症かって思うんですけど)試してみたいですが、試すと前科一犯への道一直線なので試せませんね。
- アンフェタミンとメタンフェタミンは覚醒剤取締法で規制されている覚醒剤です。 [↩]
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メモ:イノベーションの神話
巷では、私たちの創造性が年とともに衰えていき、アイデアを見つけにくくなると信じられていますが、それはなぜなのでしょうか? 会議室はなぜ、子供の頃に遊んだ公園や砂場のように活気に満ちていないのでしょうか?
心理学者や創造性の研究者に尋ねると、こういったことが神話であることを教えてくれるはずです。人類は老いも若きも創造的に思考できるようになっているのです。現代の科学をもってしても、創造性を支配する特殊な脳細胞が35歳までに死滅するといった事実や、アイデアをひらめく人だけが持っている特殊な臓器などは発見されていないのです。
Scott Berkun著 『イノベーションの神話』 p.94
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「ウェブ時代をゆく」をようやく読み始める2
相変わらず、思考のブラウン運動を感じるままに記していきます。そのため、乱文で申し訳ありません。
ウェブ時代をゆくを中断して(読書中にもだえると中断して頭の中で感覚を咀嚼しようとします)、今、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井さんとイチローの対談を読んでいて、やっぱり同じこと言ってるんですよね。対談の「ヒット一本が、どれだけうれしいか。」というタイトルもそうなんだけれど・・・
自分が自分でなかったことに、
気づけたということ。それはつまり、
「自分がやっていること自体よりも、
世の中の人に評価をされることを
望んでいた自分がいた」
ということです。
まだ全部読んでいないのですが、彼は確かにお金をしこたまもらっているけれど、本当の目的はそうじゃないと思います。だって、ずっと野球続けたいって言っていたし。
彼の場合は、(星飛雄馬のように育てられたんだっけかな 1 )楽しみを徹底的に追求した結果でしょうか???
少し話をずらすと、イチローはヒット1本への感受性?みたいなものが他の人よりも遙かに高いのではないか?そうタイトルから感じました。これは、今読み途中の本、大数学者アンリ・ポアンカレの「科学と方法」 2 にも記述されています。
すべての真の数学者が知るところの真の審美的感情であって、実に感受性に属するものであろう。
もしかしたら、楽しいと思えることは、美的感覚と同じことか?イチローはヒット1本にかける感受性を自らをして向上させていったのかもしれません。
- それが嫌だと言っていたような気もするのですが、それを考えていたらふと、wikipedia: 性的嗜好を思い出しちゃいましたよw。ここのくだりです。
イギリス人は18世紀、19世紀頃には、教育の厳格さで有名であり、子供を鞭打って躾をしたが、その結果、当時のイギリスの男女は成人した後、性的行為において、相手を鞭で打ったり、自分が鞭で打たれたりすることが嗜好である人が多数いた。
[↩]
- ポアンカレ予想を生み出したり、三体問題は解析的に説くことができないというようなことを証明した [↩]
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