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プレゼンテーション

どうしたら「伝わる」プレゼンテーションができるのか?考える。

プレゼンテーションをする側は、あらかじめ内容が「わかっている」訳だから、どうしてもどこが伝わりにくいかということがわかりずらい。この壁を突破するためにはどうしたらいいのだろうか?ということである。

プレゼンテーションの練習で、とあるGさんに「ここは伝わらん」、「話が逆転している」と色々とつっこまれて、うんうん確かにと思うのだけれども、どうしたら自分でその伝わらない「不吉な匂い」をかぎつけることができるのだろうか?と思った。

今までやってみて、その不吉な匂いの一つに「話しにくい」ということがあるということはわかった。

実際に話ながら練習をしてみると、話しながらでも意外と論理的に物事を考えているようで、論理が繋がらないからここは話しにくいという場所がある。
そういう場所というのは、どうやら話が逆転していたり(要は逆順に話した方が伝わる)、そもそもスライド自体が悪い場合がほとんどのようだ。
であるならば、どういう風にすれば話しやすくなるかということを色々試してみればいい。

こんな風に不吉な匂いをかぎつけることができれば、以前よりも少しはましなスライドになるのではないかと考えている。

だから自分は、そういう不吉な匂いを自分自身でどう見つけるかということのクライテリアがほしい。もちろんそれ以前に、文章を長々と書かないとか、図をできるだけ多用するとか、情報を多くしないといったテクニックもあって、それらも非常に大事なのだけれども、それだけだと重要なところを見落としそうな気がする。

もう一つの方法はいいものを、たくさん見るということだろうか?

たとえば、テレビを視聴する時間はできるだけ0にしたいのだけれど、彼らは視聴者を何も知らない人と仮定することで、わかりやすく説明する手法を心得ている。

Steve Jobsのプレゼンテーションは毎回最高にうまい。ただし、何がうまいのかということを漠然としてしか理解できていないような気がする。

他には、アメリカ合衆国の元大統領かつAppleの役員であるアル・ゴア氏。最近こんなもの

いかにオプティミズムを貫くか:アル・ゴアのbrand-newスライドショー

を読んで、共感できるなぁと思いつつ、やはりプレゼンテーションがうまいなと感じた。

映画「不都合な真実」以来Keynoteを使っていることは知っていたのだけれども、上記のプレゼンテーションを見てこれも見たくなったので、買おうと思う。

不都合な真実
発売元: パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
発売日: 2007年7月7日

もしかしたら、これらの人が作ったプレゼンテーションを実際に作ってみればいいのかもしれない。実際に作ることで、自分の中で何か感じることがあるのかもしれないし、なぜこの順番にしたのか?ということが理解できるかもしれない。

薬学部の時の研究室の教授はプレゼンテーションをすることを常に考えながら、実験をしなさいといっていたらしい。プレゼンテーションすることを考えながら、物事を進めていくというのはやっぱりとても大事なことだと思う。

P.S. 文章もプレゼンテーションなのだけれども、この文章自体が伝わっていないというつっこみが来そうだ。

書評: プログラム書法

プログラム書法
著者: Brian W.Kernighan, P.J.Plauger
ページ数: 236ページ
出版社: 共立出版
発売日: 1982年6月

 プログラムはどう書かれるべきかということを記した、非常に古典的な本。今でこそ当たり前になった構造化プログラミングの重要性を書いている。

 題材とするプログラミング言語はFortranとPL/Iであって、実際に教科書や現場で用いられたプログラムを載せ、それに対して批判的な検討を加えている。そして、そこから「教訓」を引き出すというのが本書の基本的なスタイルである。

 一つ一つの教訓はわたし個人にとってはなじみ深いものであって、知っているものばかりであったので、さくさく読み進むことができた。ただし、Fortranで書かれたプログラムはほとんど読んでいない(ぉぃ。

 ただし「迷路を解くアルゴリズム」でされた考え方は、再帰的に問題を解決したり、分割統治の方法(これはこの本全般にわたるが)を学ぶのにとてもいいサンプルだと思う。

 最新のFortranがどうなのかはわからないのだけれども、少なくともこの本が書かれた当時のFortranはなかなか後から読むのに厳しいものがあるなという気がした。言い換えれば、「構造化プログラミング」という概念がいかに重要かということを「教訓」を含めて改めて思い知った。逆にいえば、Cでさえいかに洗練されているかということである。

 たとえば今やプログラミングにgotoを使うなというのは、(goto自体がほとんど出てこなくなったので)聞かなくなったのかもしれないが、この時代ではgotoが多用されていてまさにスパゲッティーなプログラムになっているわけである。わたしがFortranで書かれたプログラムを読まなかったのは(いや正確に言えば読めなかったという方が正しい)、文法を知らなかったということもあるけれども、情けない話このスパゲッティーについて行けなかったからである。

 しかしながら、Fortranが読めないからといって心配することはなく、解説を読めばきちんとプログラムを書く上で最低限必要になる「教訓」は得ることができ、それは今日においても全く廃れないのである。

 一度もこういったたぐいの本を読んだことがなければ、古典であるこの本でも良いかもしれない。ほかのこういったたぐいのことをまとめた本を読んだことはないので、かもしれないと書いた。プログラムをこう書くべしということ自体は様々な本で断片的に出ていると思われる。

 目標まで残り176冊。

日々雑感: 2008/03/14

1. 今更ながら、ドラゴン桜を少しずつ読んでいます。あまりにも学ぶことに対する本質的なことを書きすぎていて(今更気づいたことが多い)、今からもう一度受験し直したいぐらいです(笑)。

 ドラゴン桜に関してはいつか何かを書こうと思います。

2. 敢えて論理的思考を抜くということができないだろうか?なんて言っている時点で論理的かもしれませんが。何が言いたいのか?「型」を作るということにおいては実は論理的思考というのは邪魔にしかならないのかなと。英文を理解するのに論理的な回路を一切挟まずに(つまり日本語に翻訳するというような)、英文そのものを理解するにはたぶん英文そのものをそのものとして憶えることが必要なのかもしれないということです。

cocoa*life » 習慣による身体性と無意識

 何でこんなことを言い出したかというと、下のページを見たからなんですけどね。

プログラミングのスピードを上げる方法3

 もしかして、物理のファインマンさんとかもこんな感じか?何となくこんな感じーで物理の問題を解いていたらできちゃったみたいな。

パソコンが使える人と、使えない人ぐらい

 そうか、わかったぞ。自分はコンピュータをあくまで感覚で使っている。この機能はこんな感じかな?みたいな。それだそれ。そして、それは楽しみながら膨大なトライアルアンドエラーをやっている。って、それはまさに先日「失敗の輪郭」というところで書いたことそのまんまじゃないか。失敗することによって物事の本質が浮かび上がるという。

失敗の輪郭

 雑感なので、思ったことを箇条書き風に書いているのだけれど、あとは自分の中に宗教を持てということなのかもしれない。宗教というものが信じるということであるならば、うまくいくと信じるような宗教。そういう宗教性がない状態だと何も生み出せないのかもしれない。

書評: 数学でつまずくのはなぜか

 長らく考えて、ようやくどう書けばいいのか決めることができた。こういう多種多様なことが書いてある本は全部それを解説しても仕方がないしということで、書き方を迷ってしまう。

 読んでからだいぶ時間が経っているので、本書の内容からかなりかけ離れてしまうかもしれませんが、ご了承ください。

数学でつまずくのはなぜか
著者: 小島寛之
ページ数: 237ページ
出版社: 講談社
発売日: 2008年1月18日

 タイトルの「数学でつまずくのはなぜか」は本書の半分を表していると思う。もう半分はどうしたら、つまずかせないように教えることができるのか?ということ。

 数学ができる、できないということについて、著者はアフォーダンス理論に則り、人間には数学を感じる心のような感覚器官があるのではあるが、その感覚器が人によって様々であるために、数学が「できる」、「できない」かのように見えてしまう。ということであれば、逆に考えてその感覚器がとらえ得るような教え方ができないか?ということになる。それをたぶん作者は模索しているのだろう。

 前にも書いたかもしれないけれど、学問はそれができる間に紆余曲折した部分、梯子となっていた部分は、完成すると必要がなくなり外されてしまう。そしてあたかもあらかじめあったかのようにそこに存在するようになってしまう。

 そうすると後からこれを学ばんとするものにとっては、いきなり抽象的な概念を扱わなければならず、右往左往してしまう。であるから、まずは作者はどのような場面でそれが必要となったのか?ということを説明する。それは好奇心がうずくような問題を与えてみて、ほらこれを解くのにこういうものが必要でしょう?ということを伝え、それによってそれの本質的な意義や哲学を理解させようというプロセスなのかもしれない。このプロセスは数学が社会に必要か必要でないかという点から見るのではなく、好奇心を満足させるという学問本来の姿から見ている。

 学問を教えるというときには、本来は圧倒的な教養を持って(様々な普遍的構造を見抜くには教養が必要であるとわたしは考える)、その哲学を伝えなければならないのかなと感じた。その哲学というのは往々にして、それが考えられた当時、初めて必要とされた当時には生じているもので、そういう意味で歴史をたどるということはすさまじく意味があるのだと思う。

 目標まで残り178冊。

書評: 熱力学で理解する化学反応のしくみ

熱力学で理解する化学反応のしくみ
著者: 平山令明
ページ数: 251ページ
出版社: 講談社
発売日: 2008年1月22日

 タイトルがそのものずばりなのだけれども、化学反応をギブスの自由エネルギーという目で見たらどうなるのか?ということを記した本。ギブスの自由エネルギーの入門書といった感じか?

 文章が鼻をつくということをのぞけば、内容は結構いいような気がしている。著者にとって、科学というものが特定の宗教やイデオロギーとは結びつかない客観的なものであるということをこの本を通していいたいもう一つのことなのだと思うのだけれど、そうたびたび繰り返されるとうんざりする。そんなことよりもただ単に現象を示して、これはこう解釈できるんだ、一見ほかの現象も同じ式で解釈できるんだということを淡々と示した方が心に訴えるのではないかと思われた。昨今はちゃんと書かないと読み取ってくれないという思いがあるのか、わざわざどうだすごいだろう!と示しているような感じなのだけれど、それが非常にねちっこくてうざったい。

 それは置いておいて、流れとしてはまずはエネルギー、エンタルピーの説明を行い、エントロピーを説明をする。そしてエンタルピー、エントロピーの差(若干違う)が、実際に反応に使えるエネルギーになるというギブスの自由エネルギーを導入する。そしてギブスの自由エネルギーを用いて様々な反応が起こることが可能なのかを説明する。ブルーバックスという本の性質上飛躍がみられるのは仕方がないとしても、様々な反応例を挙げて、同じようにギブスの自由エネルギーで解釈できるということを示してくれるのはとても有意義なように思える。
 
 昨今の科学がいかに熱力学の周りで回っているのかということを示してくれる本であろう。

 目標まで残り182冊。

書評: 混沌からの秩序

 最近重い本ばかり読んでいたら、めっきり進まなくなってしまった。

混沌からの秩序
著者: Ilya Prigogine, Isabelle Stengers
ページ数: 442ページ
出版社: みすず書房
発売日: 1987年7月

 散逸構造を提唱したことにより、ノーベル賞を受賞したイリヤ・プリゴジンの本。彼の本は何冊か持っているのだけれど、どれも難しい。その中でこの本は比較的入門書的になるものかもしれない。ほかの本を読む前にこの本から入っていくと、ほかの本にも似たようなことが書かれているので、いいかもしれない。

 前書きが「富の未来」などの著者、あのA.トフラーによって書かれているのに驚いた。

富の未来 上
著者: Alvin Toffler, Heidi Toffler
ページ数: 426ページ
出版社: 講談社
発売日: 2006年6月8日
富の未来 下
著者: Alvin Toffler, Heidi Toffler
ページ数: 409ページ
出版社: 講談社
発売日: 2006年6月8日

 古典力学や量子力学などは時間の可逆性を可能としているが、しかしながらエントロピーは増大するとする熱力学第2法則が可逆性を否定している。現実に起こっていることはもちろん時間は可逆的ではなく、水に落としたインクは元に戻ることなく拡散するし、壊れたものは元には戻らない。

 プリゴジンはこの不可逆性によってもたらさせる「時間の矢」について様々な研究を行ってきた。そして平衡から遠く離れた非平衡状態においてエントロピーがくみ出されることで、平衡状態で形成される秩序とは全く違った新しい秩序が生じることに気づき、それを散逸構造と名付けた。

 前半では科学史をひもときながら、自然科学が時間をどう扱ってきたか、さらには人文科学が時間がどう扱ってきたかについて考察を行う。後半では、プリゴジンの真骨頂、非平衡状態から如何にして秩序が形成されるのかについて記していく。

 目標まで残り183冊。

書評: 岩波講座物理の世界 統計力学2 マクロな体系の論理 — 熱・統計力学の原理

岩波講座物理の世界 統計力学2 マクロな体系の論理 — 熱・統計力学の原理
著者: 吉岡大二郎
ページ数: 78ページ
出版社: 岩波書店
発売日: 2002年1月

 ATOKによりマクロな体型と変換された・・・。

 本書は75ページほどの薄い本ということもあり、目次でも書かれているが熱力学からエントロピーを導入するのではなく、統計力学から導入をして、最後に熱力学の基本法則に戻ってくるという書き方になっている。

 このような熱力学、統計力学の本を何冊か読むことで、様々な見方ができるようになり少しずつ理解が進んでいくものと思われる。

 目標まで残り184冊。

監督は気づかせ屋さん

 テレビ東京のカンブリア宮殿という番組で1月の始めに楽天イーグルスの野村克也監督についてやっていました。

 野村監督に注目したのは楽天の監督になってからだったと思います。確か読売新聞の記事。それまではID野球は言葉でしか知らず何のことかなど全く知りませんでした。その記事は失念してしまいましたが、ただ闇雲にバットを振るのではなくてきちんと考えることが必要であって、それをすることで選手が復活したみたいなことが書かれていたような気がします。

 色々と学ぶところが多かったのですが、司会の村上龍氏も社長が言うような話とよく似ていたと最後に言っていたように、監督というよりはもっと普遍的な話をしていたように聞こえました。非常に教養があるのだなぁと話を聴いていてよくわかります。

 ID野球の提唱者?でありますから、野球は考えるスポーツであるということを言うわけですけれども、なぜ野球は考えるスポーツなのか?ということをそのことに気づいた経緯および理由について示されていました。

 それで今、自分の中で一番かみしめているのは、「監督は気づかせ屋さん」という言葉。野球とは?というのを考えさせたり、「お前こういうときどうするんだ?」と聞いて、その答えを聞くことで理解度を測っているといったソクラテス的な問答をしている、それがかなり響きました。

 説教するのは簡単で、ともすれば押しつけがましいと感じたり反発したりしてしまいますが、ソクラテス的な問答は気づきをもたらします。しかしながら、やる方もすさまじくエネルギーがかかります。聞かれる方以上の圧倒的な知力がないといけません。

 そんなことを考えていたら、ギリシアの哲人たちの本を読まないといけない気がしてきました。

 話を野村監督に戻して、Amazonで検索してみたら、「野村ノート」という本が出てきたので今度読んでみようと思います。

野村ノート
著者: 野村克也
出版社: 小学館
発売日: 2005年9月

書評: 量子論の発展史

量子論の発展史
著者: 高林武彦
ページ数: 376ページ
出版社: 筑摩書房
発売日: 2002年5月

 この本は量子力学を形成する過程で物理学者たちがどう考えたために、現在のような形式になったかを記すものである。

 これはたぶんすごい名著だと思う。たぶん、だと思うと書いたのは、わたしがこれを理解しうるまでの頭が今のところないから。しかしながら、名著だということはわかる。なぜか?

 平行して読んでいるポアンカレによる「科学と方法」や「科学の価値」なので記されている部分を引用した方が話が早いであろう(旧字体が使われていない「科学の価値」から引用する)。

たとえば、連続関数の観念についてのいままでのいきさつを考えてみよう。はじめのうちは、これは感覚的な映像、たとえば、黒板の上に白墨で描かれた連続的な線の映像にすぎなかった。その後個の映像はしだいしだいに洗練され、やがてはこれを用いて、いわば最初の映像のすべての線を再現してみせるような、複雑な一連の不等式を構築するようになった。この構築が完成すると、いわば足場をはずに、かつては一時の支えとなりその後は不要となってしまったあらっぽい表現は棄ててしまわれる。もはや、この構築それ自身、論理家の眼にも非難の余地のない構築それ自身だけしか残っていない。

科学の価値
著者: Jules-Henri Poincaré
ページ数: 305ページ
出版社: 岩波書店
発売日: 1977年5月

 つまり、できあがった物理学(だけではないが)の本を読むとなぜここがそうなるのかがわからない場合が多い。ただ単に天才がこうだと言ったんだからこうなんだ!みたいなある種の思考停止的なことを言われているような気がしないでもない。もちろん、ニュートン力学のF = maがどうしてこうなんだと言われたら、それで説明が付くからとしか言えないのかもしれないけれども、ある程度この現象がこうであるから、こうならなければならないという必然性、哲学的部分がわからないと理解したとは言えないのではないかと考える。

 こういった本は、今までの歴史には色々と紆余曲折があり、こういうことを説明するにはこうでないとダメなんだということを示してくれるので、とてもためになる。

 今までの自分に決定的に足りなかったことの一つは、なぜこうなるのか?ということを理解していなかったということがあまりにも多すぎたということであったと今は思う。子どもの頃から理解しないでおいても放っておいてしまったように感じる(暗記が特に得意というわけでもないので、文字通り放置)。わからないと諦めていたのである。と、過去を憂いでも全く仕方がないので、今からやるしかないのだけれど。

 筑摩書房はほかの出版社で絶版となってしまったものをこうして復刊してくれている。本当にありがとう。

 目標まで残り185冊。

音読の効果

 最近は毎日「基本英文700選」の1 〜 100までを音読しています。

新・基本英文700選
著者: 鈴木長十、伊藤和夫
ページ数: 176ページ
出版社: 駿台文庫
発売日: 2002年1月

習慣による身体性と無意識

 始めて10日くらい経ってから、だいぶ慣れてきたので単語カードを見て憶えているかどうかの確認、つまり反射神経を鍛える練習をしてきました。

 最初の日はなかなかできずに60分かかりました。次の日は45分になり、次の日は30分。その次の日は20分ぐらいかな。口が憶えていてくれるので間違えたか間違えていないかはすぐにわかります。なんか変だなぁと感じたときは間違えている。明日は何分でできるようになるかという、この変化は素直に楽しい。やはりこういう卑近なところで自分を盛り上げていくことが大事なのだと感じています。

 もう少し口が憶えてくれたら今度はシャドーイングも始めようと思います。読んでいて、これはどこにアクセントを置いたらいいのか?どこで切ったらいいのかがわからないから。

 そして、昨日から101 〜 200の音読を始めました。つっかえまくりで非常に苦労しました。逆に言うといかに今まで口が憶えていてくれたのか?ということを理解しました。