Monthly Archives: January 2008

テレビを横目で見ていたら、ふぐが食べたくなりました

 書評が3冊分たまっているのだけれど、消化できていないのか、自分の理解力が足りないのか、はたまた小説が含まれているからなのか?よくわからないが、進まない。こういうときは寝かしておこうと思って、タイトルだけつけておいて放置してある。

 先ほどテレビを見ていたら、鍋についてやっていてふぐ鍋なんていうのをやっていたら無性にふぐが食べたくななった。

 10月にふぐを生まれて初めて食べに行った。いったのは割烹 懐石料理 福久。個室なのにはじめはちょっと驚いた。

割烹 懐石料理 福久

 ふぐコースを頼むと、本当にふぐづくしで色々と食べられる。てっちりもあるし、すしもあって、鍋もあって。仲居さんが鍋はちょうどいい状態で取ってくれる。

 ここはかなりお気に入りの場所で、思い出して、また行きたくなった。

薬学部で教わらなかったこと

 薬学部で教わらなかったこと。それは、考えるということだったように思う。本当は教わっていたのかもしれず、自分の感受性がなかったからなのかもしれない。ただ、とにかくひたすら暗記というイメージしか持たなかった。

 でもね、本当は本当はそんなことは教わることじゃないのかもしれないという気もする。

 いつの間にか考えるとは無縁に見える世界で、たとえば閃きが重要そうなデザインとかね、そういうところでむちゃくちゃ考えられているということを知ったとき、実は衝撃的だったのかもしれない。

 自分は未だに考え方の軸を持っているとはとても思えない。もっと必死になって模索しないといけないと思う。頭をもっともっと使えるようになりたい。未だに、頭を本当に使ったんだーと思った感覚がないから。

寒いので電気毛布を買いました

 一軒家はあまりにも寒く、床から寒さが上がってくるので電気毛布を買ってみました。

 なかなかぬくくていいです。ネコがいたらすぐに寄ってきそうです。結構すぐに暖まります。ただ、懸案の足先だけを温めるのはなかなか難しいですね。カーペットの方がいいのかもしれない。

書評: 「続ける」技術

「続ける」技術
著者: 石田淳
ページ数: 167ページ
出版社: フォレスト出版
発売日: 2006年10月20日

 最近分厚いのばかりでなかなか数が進まないので(言い訳)、たまにはこういうのも。30分で読んだ。

 一応、行動科学に基づいたと書いていますが、本自体は科学的では全くない。データを出しているわけではなく、客観性がない。

 それは置いておいて、とりあえずこの本では続けられないのは意思の力がないからではなく、ただ単に続け方を知らないからと書いている。

 この本では行動を2種類に分けている。1つは不足行動。もう一つは過剰行動。たとえば、読書をもっとするのであれば、現時点では不足しているので不足行動。禁煙するのは、現時点で過剰なので過剰行動。

 さらにそれぞれの行動にライバル行動がある。たとえば読書をするのであれば、代わりにインターネットをしてしまうとか。禁煙であれば、喫煙してしまうというのがライバル行動。

 であるからして、続けるためには不足・過剰行動をコントロールし、ライバル行動を削減するようにするような仕組みを考えろという。不足行動にはハードルを高くし、過剰行動にはハードルを低く。

 あと2種類の行動に対して共通なのは、遠くの目標を設定すること。近くの目標を設定すること。プレッシャーになるように周りに公開すること。そしてごほうび・ペナルティーを設定すること。個人的にいいなと思ったのはポイントカードをつけるというのはいいと思った。今までは、わざわざほぼ日手帳に言葉で書いていたけれど、せっかくシールを買っていたので、シールを貼るだけにしようと思う。

 正直、色々なところで耳にたこができることがあるくらい聞いたことのある内容だった(笑)。でも、まとめとしては悪くないかもしれない。

 さて、わたしは昼寝ばかりしてしまうのをどうしたら改善できるでしょうか・・・。

 目標まで残り192冊。このカウントも一応そういうものに基づいてやっているつもり。ただ、中間目標たとえば1ヶ月に16冊、1週間に4冊という目標がないとダメ。来週からはそれを設定する。

P.S.
 日本語がおかしくて、唖然としたので修正しました。

根拠のない自信

 根拠のない自信というか、本当の自分はこんなもんじゃないと思わないと、成長はできないような気がします。もちろんそこにはちゃんとやることと、楽しみが必要ですよ。楽しみながら、もっとうまくできるはずと思って、実践していくこと、この3つが必要な気がしています。

bk1クラブオフ

 先週からbk1ポイントクラブ三つ星特典のbk1クラブオフが始まったので、早速入会してみました。

 普段旅行はしなかった人なので、ホテルとかどうなのかいまいち解りませんが、とりあえず使いそうなのは映画の入場券が安くなるということ。たとえば、今見たいのはMr.ビーンなんですけれど1150円です。

Safariがだんだん重くなってくる現象

 わたしはWebブラウザもといSafariを開きっぱなしにしておきます。YouTubeで何回も見たいのとかも開きっぱなし。そういう風にしてFlashを含んだページを開きっぱなしにしておくと、Safariがだんだん重くなってきて、1ページ開くのにも引っかかり虹色くるくるという状態になります。

 2chを読んでみたところ、もしかしたら最新のWebKitを使うと直るかもしれないと思い、今は1月19日付のr29674を使っています。

Safari Part39
The WebKit Open Source Project

 起動してから数時間経っていますが、今のところ順調です。もう少し日単位でおいてみなければいけないかもしれませんが・・・。

今更ながらほぼ日手帳を買いました。

 昨年ほぼ日手帳を買おうと思っていたら、いつの間にか忘れていました。あの手帳を毎日見ることを日課にしようかと思っています。そうすれば、GTD的になるのかなぁと。GTDまできっちりやるつもりは今のところなぜかありませんので、これがちょうどいいかもしれないと思ったのです。

 ちょっとだけ驚いたのは、Apple製品ほどではないとは思うけれど、粋な化粧箱。そう高いものではないけれども、それでも購入して良かったと思わせてくれます。たぶん、この手帳は特にそうだけれど、ものって買って終わりって言う訳じゃないと思うのですよね。こんだけ良いのだったらほかのものもほしいと思えるようになる。

 パッケージを開いた時に書かれている言葉。

「なんでもない日、おめでとう」という言葉を、
かつて人々は、冗談として聞いたものだ。
しかし、王様も大金持ちも、鼠も孔雀も、恋人たちも、
いちばん欲しいのは、そんな日々じゃないのかね。

<「セフティ・マッチ氏の焚火話」より>

 やはり糸井重里はコピーライターであって、言葉とこころに真摯に向かい合ってきたのだなと思わずにはいられない。言葉とこころに向き合うことは自分自身に向き合うことと等価であるとわたしは思っている。

 さて、今日から始めよう。この手帳の1月2日にはこんな言葉が載っている。

計画を実行したければ、
元旦にスタートを置くなんていう
手ぬるいんじゃなく、
毎朝にスタート・ラインを引くべきだな。

<岡本太郎さんの言葉『TAROのひとこと』より>

書評: 能動的想像法 — 内なる魂との対話

能動的想像法 — 内なる魂との対話
著者: J. Marvin Spiegleman
ページ数: 227ページ
出版社: 創元社
発売日: 1994年11月

 この本の中で出てくる、ユングの弟子フォン・フランツの言葉「真の反応は倫理的な対決を含むものである」という言葉がどういう風にとって良いのか、わからない。いつも書いているように「正義」や「正しさ」と闘うことが真の反応であるということなのだろうか?

 その前に無意識はなぜくらいイメージを持っているのかということについて疑問だった。少し考えてみると、もしかしてこの倫理的な対決ということが重要なのかもしれない。心それ自体は特に倫理的なものはもっておらず、全体であり完全である。しかしながら、倫理というある一定方向の抑圧として、それ以外の暗い部分というものは無意識において抑圧せざるを得なくなる。そうすることで、人が無意識とふれあう場合においては無意識はことさら暗い部分を強調せざるを得なくなるということだろうか?

 閑話休題。

 ユングはフロイトと袂を分けた際に、かなり陰鬱状態になった。その状態を克服するときに生み出されたのが能動的想像法(active imagination)だった。この本は能動的想像法がどのようなものであるかを著者の体験を交えて示すものである。

 能動的想像法は意識的に夢を見るようなものであるのではないかとわたしは解釈した。つまり、たとえば夢に出てきたものを出してきて、それがどう展開し、変化するかを見つめるということである。人間が出てくればそれが語りたければ語らせる。べつに、語るのは人間でなくとも良くて、著者の場合、壁であることもあった。そして、それを記述していく。このようにして無意識を分析し、そして無意識自身に分析をさせると書いている。

 著者の場合には、この能動的想像法を行っているうちに騎士が現れ、これから語る物語を書き記すようにいわれている。ただしこの場合には、著者は降ってくるものをそのまま書き記すのではなく、きちんと意識を使って対話をしながら物語へも介入を行うのである。

 この本の最後には、この騎士によって語られる「生命の樹」という物語の序章のようなものが載っている。なかなかファンタジーとしておもしろいのだが、やはりただのファンタジーよりも心理的な教訓性を感じざるを得なかった。読もう読もうと思って未だに読んでいない、ユングの「ヨブへの答え」裏表紙に書かれている、「ヨブは神自身でさえ気づいていない神の暗黒面を意識化した」というようなものも感じた。

ヨブへの答え
著者: Carl Gustav Jung
ページ数: 193ページ
出版社: みすず書房
発売日: 1988年03月

 さらに、何度となく統合という言葉が出てきたのが非常に気になった。やはり西洋の人(一神教という意味で使っている)にとっては統合して1になるというのは、そうでない人以上に特別な意味を持っているのではないかと強く感じた。

 統合ではなく我々にはハーモニー、調和があると河合隼雄は語ったように憶えているが、どちらにせよ自分の中に悪を見出しそれをも受け入れていくという姿勢は非常に大切であると思う。

 能動的想像法は自我の強い人が行うと、でっち上げているような気がするそうだ。たぶんこれ本当に自分のイメージから出てきたの?無理矢理にして話を作っていない?ということだと思われる。そのため、本書では子どものように遊ぶ箱庭療法を一緒にやることを推奨している。

ユングがやったことは、自然にわいてくる想像的な衝動に従うことでした。たとえば、石で遊ぶことなのです。またユングは小川の流れる箱庭を造り、それで終生サンドプレイをしました。一つの方法は、彼と同じことをすることです。自分のなかにある遊び好きな子どもの声や気分に耳を傾け、それがやりたがっていることを、愛情をもって、しかし意識的に行うことです。やがて、魂の現実性をもう一度感じることができるようになります。

 このようにユングは終生箱庭療法をやっていたというか遊んでいたようである。この本を読んで、無性に箱庭を作りたくなり、インターネットで箱庭療法に使われる箱庭の値段を調べてみたのだが、かなりの値段200,000円とかするようである。やはり、こういうものはそういう場所に行ってやるものなのだろうか?この値段だと、遊んだあとにつまらなくなったからやめたと思いづらい。認知的不協和に陥りそうである。

 目標まで残り193冊。