しばらくぶりねと私はいった

手帳も、人間のように怒ったりしないんですよ。
「おまえ練習しねぇじゃねぇか!」だとかさ、
「毎日、白紙ばっかりで、もったいないぞ!」とか
決して言わないんですね。
そして、しばらくほったらかしにしておいて、
しばらくぶりにひっぱり出しても、
おんなじようよう、つきあってくれるんです。
当たり前なんですけどね。でも、そこがいいんですよ。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 今日のダーリン

 糸井さんはこのあと、「待っててくれる」という言葉に痺れたと書いていますが、自分もかなり痺れました。

 これ、自分自身ができたらなぁって。人でやるのはなかなか難しい。どうしても普通の人間関係であれば、疎遠になるのが普通で。久々に会って、眠っていたスレッドがむくっと起きて仕事を始めるような、その瞬間にまた時も再開することができるというか、そういうのができる関係はとてもステキ。

 ここで書くのをストップしておいて、ふと見返して、いやいや、書いていていいたいのはそこじゃないそこじゃないと。もっと重要なのは怒ったりしたりしないで待てるという精神的な余裕さ、これが欲しい。見守るような。ついつい口に出してしまったり、自分でやってしまったり。そうじゃなくて、任せて見守るみたいな感じ。

 それにしても、この糸井さんの痺れたという書き方は、なんだか自分が紡ぎ出したのではなくて、降りて来ちゃったみたいな書き方で、なんだかいいなぁ思ったのでした。