Monthly Archives: August 2007

名古屋の事件のこと

 普段、あまり事件に対して感想を抱くということはないのですが、この事件だけは違いました。名古屋で起きた殺人事件です。非常に苦しくなります。

 その苦しくなる理由をいろいろ巡らしてみていると、被害者はどういうような気持ちで殺されてしまったのかとかを想像して、その苦しさに(本当はできないけれども)同調してしまうからでしょうか?

 はたまた、たとえ加害者が死刑になったとしても被害者は戻ってこないという絶望があるからでしょうか?

 被害者の今までのそして、これからあるはずだった倖せな生活を想像してしまうからでしょうか?

 さらに、別の角度から生物にとって生・死とは何か?というある種哲学的な、でも生物学的に解き明かしたい謎のことを答えのないままさまよいます。死の点を超えてしまうと、決して生には戻ってこられない。そして、生の代替性。加害者が死んだとしても代替はできません。

 答えもなく、問題も明確になっていない状態で当たり前なのだけれども、不思議だとさまよう。

 怨み屋本舗の第4話を思い出しますね。あれもドラマなんだけれども、実際に本当にあり得そうでやりきれない絶望的な気分になりました。

 人を殺すことを肯定することはもちろんできないのですが、何らかのもめ事があってかっとなったというのはまだわかります。そういった場合に自分がやらないという保証を、本当にできる人はいないでしょう。

 では今回のような、そういった突発的な感情にまったくよらない事件を起こさせないためには、果たして何をすべきか。簡単ではないけれども、やはり以前書いた自己愛をはぐくむということが重要なのかなと思います。人を殺してはいけないという理由がないのだから、他人に殺されたくなければ、人を殺してはならないという論理を用いるしかないのかなと。そう感じています。

先行試聴はじめました

 鬼束ちひろのニューシングル「僕等 バラ色の日々」がいくつかの店舗で聞くことができるようになったので、聴いてきました。公式サイトではサビの部分だけ聴くことができます。

僕等 バラ色の日々
アーティスト: 鬼束ちひろ
レーベル: ユニバーサル・シグマ
発売日: 2007年9月19日

 たいしたことはかけないのですが、聴きながら泣きそうになりましたよ(笑)。すごく、すごくいい!!!

 前回の「everyhome」は確かにいいはいいんですが、こんなもんじゃないだろ的なところがありました。曲調とか。

 今回は一度しか聴いてませんが、神曲になりそうな予感がしました。

 一言で言うと、あっ「私とワルツを」っぽいって、そんな感じ。

 サビの「人は迷子になるということを 抱いて歩いてゆけるから どうぞ手を離して 何度傷跡が消えても 繰り返す 過ちのように ああ 僕等 バラ色の日々」ってところが特に。ワルツの場合は、一緒に踊ろうという感じでしたが今回は一緒に歩いていこうとか、手を離そうとかそんな感じなので。

 「私とワルツを」は2番目に好きな曲なので(1番目は「嵐ヶ丘」です。)、これもかなり好きになること間違いなし!

 最後の方は確か盛り上がる感じだったのですが、それもまた良くて。ああ、また明日聴きに行こうかな。早く発売して欲しい!!!

もういいかげんにやめなさい!

 最近あまりエントリを投稿していませんが、たまには。

「もういいかげんにやめなさい!」と、ツァラトゥストラは叫んだ。「その物の言いかた、その恰好、わたしは気色がわるくてたまらない!

 なぜあなたは、みずからも蛙や蟇になってしまうほど長いあいだ、泥沼のほとりに棲んでいたのか?
 今ではあなた自身の血管のなかにも、腐って泡だつ泥沼の血が流れているのではないのか?
 そのため、あなたはそんな蛙のような声をはりあげ、悪態ばかりつくのだ。
 なぜ、あなたは森の奥にはいらなかったのか? さもなければ大地を耕さなかったのか? 海には、緑なす島々がたくさんあるのではないか?
 わたしはあなたの軽蔑を軽蔑する。また、あなたが私に警告するくらいなら、—なぜ、あなたはあなた自身に警告しないのか?
 わたしの軽蔑、わたしの警告の鳥を、わたしは愛情のなかから飛びたたせたい。泥沼からは飛びたたせたくない!—
 人びとはあなたをわたしの猿と呼んでいる。口から泡をとばす狂人よ。しかしわたしはあなたのことを、わたしの泣き豚と呼ぶ、—不平がましく、ぶうぶう泣くことによって、あなたはせっかくのわたしの『愚神礼讃』をだいなしにしてしまう。
 いったいあなたに泣きごとを言わせた第一の原因は何だったのか? 誰ひとりあなたに十分に媚びてくれなかったということだ。—そのためあなたはこうした汚物のなかに坐り、それによって大げさに泣きたてる理由ができたというわけだ。
 —それによって、多くの復讐をとげる理由を手にいれたというわけだ! お体裁屋の狂人よ、つまり、あなたの口角の泡は、すべて復讐なのだ。わたしには見えすいている!
 しかし、あなたの気違いじみた言葉は、その言い分が正しいばあいでも、わたしに被害をおよぼす! またツァラトゥストラの言葉が限りなく正しいばあいであっても、あなたがその言葉を使えば、かならず—正しからぬ結果になる!」
 ツァラトゥストラはこう言った。かれは大都会を見つめ、溜息をつき、いつまでも黙っていたが、ついにこう言った。

 このわたしにかぶれた狂人ばかりではない。大都会そのものがわたしに嘔吐をもよおさせる。どこを見てもそれは改善できない。いや改悪もできない。
 わざわいなるかな、この大都会!—わたしはかかるものを焼きつくす火の柱が見たい!
 というのは、大いなる正午が到来するにさきだって、そうした火の柱が立たなければならないからだ。しかし、それにはその時があり、それ自身の運命がある!—
 だが狂人よ、別れぎわに、あなたにこの教えを残しておこう、「もはや愛することができないときは、—しずかに通りすぎることだ!」

 ツァラトゥストラはこう言って、狂人と大都会のかたわらを通りすぎて行った。

Friedrich Wilhelm Nietzsche『ツァラトゥストラはこう言った』通過より
 

 「ツァラトゥストラはこう言った」の中でも「重力の魔」の節に続いて、特に好きなところの一つです。ニーチェは限りなく人間を愛していた。だから、軽蔑や警告を愛情から発したかった。それが彼の言う大いなる軽蔑なのではないかと思います。復讐意志としての軽蔑はとても気色の悪いものだと最近感じます。

 また、「今ではあなた自身の血管のなかにも、腐って泡だつ泥沼の血が流れているのではないのか?」この部分に、心理学的な「投影」を見事に描いたものではないかとも自分には読み取れます。
「なぜ、あなたはあなた自身に警告しないのか?」自分自身の悪の部分を見ずに、それを周りに投影している。狂人に対し、ツァラトゥストラはきっぱりと言い切ります。

 さらに、「誰ひとりあなたに十分に媚びてくれなかったということだ」の部分には仏教的な「渇愛」も読み取れるのではないかと。十分に媚びてくれなかった理由として、復讐をおこなう。

 結局、愛することは大切なのかなぁと思いますが、愛を要求することは苦しいけれども、とても苦しいけれども、すべきことではない(とまで言い切ってしまっていいのか?という感じがしていますが)のではないかと、思っています。愛する愛さないは悲しいけれども、相手の自由であると。

 ニーチェは哲学とされていますが、自分自身は心理学として捉えています(この二つに十分な区別があるのかどうか怪しいところですが)。

 って、いつも同じようなこと言ってますね、自分w。まあ同じなんですけど。

HDDをアップグレード?

 現在使っているMacBookは、VAIO SZを購入してサブとして使うつもりだったので、HDDをあまり多く積んでいません。それに、その当時積めるHDDはあまり多くなかった気がします。

 HDDの容量増加は以前は停滞していたような気がしますが、最近はどんどん大容量になってきているようです。Leopardを前にして、だいぶ容量が少なくなってしまっていているので(パーティションを分けているので、5 GBと8 GB)、Leopard導入時にはHDDを250 GBぐらいに一気にアップグレードしようかなぁと考えています。2万円程度で購入できるようなので高くないし。

 新しいMac買えば?という声が聞こえてきそうです・・・w。

I-Podとitune

 iPodのことをI-Podと書いたり、iTunesのことをituneと書いたりする間違えはなんで起こるのだろうか?と思ってしまう。特にスペルが間違いやすいわけでもないと思うし。タイプミスでもないのに、わざわざこのように書くのはどうしてだろうか?

 どうでも良いこと、本質とは関係ないことだといわれるかもしれないのだけれども、意思疎通という目的において、固有名詞をきちんと書かないことというのは、時としては致命的な間違いが発生する可能性がある以上、きちんと書くべきだと私は考えています。

 ちょうどその前に「なぜ、日本人のプレゼン資料が海外に伝わらないのか?」というエントリを読んでいて、当たり前のことをきちんと書くということが鍵になるのかなぁと思いましたが、どうやらGoogleの検索結果からは違いが言えそうにないような気がします。そもそも、Googleで英語のみで検索しても、日本語が混ざるので意味がないし。統計的に取らない限り、何とも言えないですね。

前者の海外IBM社員による合格答案は、非常に論旨が明確でした。日本人からすると「何をいまさら当たり前のことを」という内容まで、丁寧に、しかしエッセンスを簡潔に書いています。一通り読むと、ロジックが明確で、戦略が論理的に導き出されたことがよく理解できます。

全てに立ち向かう強さを下さい

”未来へつながる運命”を信じる
幸福な偶然にめぐり逢うと 自分に言い聞かせて
嘘つきの糸を切ってそして
真実と向き合う勇気があるって信じたい

the brilliant green 『There will be love there 〜 愛のある場所 〜』
the brilliant green
アーティスト名: the brilliant green
発売日: 2000年10月1日
レーベル: DefSTAR RECORDS

ゆでだこ化

 最近暑すぎて、部屋の温度がエアコンをがんがん回しても全然下がりません。

 30年くらい前のものだから仕方がないのかもしれませんが。ほんと辛い。

期待待ち

 先日、新しいiMacが発表されて、実は未発表であったIntel Core 2 Extreme 2.8 GHzが選択できるなんて話題がありましたが・・・、今は次世代CPUであるPenrynが気になっています。

■元麻布春男の週刊PCホットライン■ iMacに見るIntelとAppleの関係

 Penrynが出荷されるのは2008年の1Qで、いつもの通り1月頭のInternational CES(1月7日 〜 10日)で発表されるでしょう。そして、その頃にはMacworld(1月14日 〜 18日)がありますので、それに合わせて発表という流れかなぁと、あくまで予想はできます。

 それで、Penrynの周波数ですが、以下のように決定?しているそうです。

Intel Prepares Penryn For Santa Rosa Refresh In Q1 2008

Core 2 DUO 2.6, 2.5, 2.4, 2.1 GHz
Core 2 Extreme 2.8 GHz

 ここで、個人的には3.0 GHzのCore 2 Extremeを搭載したMacBook Proが見たいなぁと思っています。周波数のきりが良いから。

 ま、あくまでも期待ですけどね。たしか(現状の)Core 2 ExtremeはTDPが通常のものよりも高くなるので、ノートにはキツイと思われますので。。。

■後藤弘茂のWeekly海外ニュース■ Core 2 Extreme+NVIDIA SLIで攻めるIntelのモバイルCPU

テレビの黄金時代

 久しぶりに、ニコニコ動画でポケビとブラビを観る。

 二つとも、今のJPOPより全然良いような気がするのは私だけでしょうか?年を取っただけ?

 CD全盛時代だった1999年ぐらいまでが、テレビの黄金時代(日テレの黄金時代)だったのかなぁなどと感じます。なんだかんだいって、この頃のテレビは好きです。

 もう一度、復活してくれないかな。

久しぶりに聴き直す

 久しぶりに、iTunesの中に入れてある熊木杏里の曲を全曲シャッフルで再生している。

 彼女を初めて知ったのは、確かたまたまどこかのサイトで「咲かずとて」PVを観た時だと思う。「あなたを愛せない 私はどこへも行けない」という出だしにすさまじい衝撃を受けたと同時に、当時のいろいろな自分の状態を重ね合わせて、すっかり引き込まれてしまった覚えがある。

 久しぶりにデビュー当時のそうした歌を聴くと、彼女の中の暗い闇の部分が見えていて、同時にこれを聴いていた当時の自分の内面も見えてきて。ああ、あの頃は今よりもずっと堕ちていたんだなと感じた。苦しかったんだなぁと思った。

 今の曲を聴くと、確かに昔よりも軽い。軽いのだけれども、彼女が考えなくなったという意味で軽いのではないように見える。いろんな内面をそれでもいいよと一度赦してしまった、そんな身軽さなのかもしれない。

 次のアルバムも楽しみにしている。