Category Archives: Life

blog を書くということ

このブログは2006年の7/30に開始したようです。

WordPressへ | cocoa*life

それ以前は他のところで書いていたと思いますが isweb だったかな?忘れちゃったけど。こちらに移ってきたのでした。

ちょっと前にこのサーバに使っているさくらインターネットから、更新のお知らせが来て、1年間で5,000円の請求が来ました。

このときちょっと迷いました。最近書いていないし、年間5,000円というのは今の自分には決して軽い金額ではないと。でも続けることにしました。

話は飛びますが、友達と昨日話していたときに、昔、ねじまき鳥クロニクルを読んで自分を救わなければならないと思い、そこから人生が少しずつ変わっていったという話をしました。

ねじまき鳥クロニクルのどこかに、そのような自分を救うことが書いてあったかなと思い、調べてみたところ、自分のこの blog がヒットするだけでした。

人生のパスを変える | cocoa*life

懐かしいなと思いつつも、他の部分を読み返してみたところ、当時の自分はこんなことを考えていたのかとちょっと新鮮で、驚きでした。
読み返してみると、当時の自分が何をしようとしていたのかよくわかります。本を読み、いろいろと客観視をしようとしていたこと。それをさらに文章にすることが手助けしてくれる。そうして自分の内面と闘っていたということがよくわかりました。

このように思考の変遷が残っているというのは自分にとってはとても大事なことなのではないかと感じました。日常生活ではどうしても見返すことが少なくなり、多くの大切なことを忘れてしまいます。

こんなことを考えていたら、また blog を書こうと思いました。ただし、内面を書くことがある程度ありそうなので、ここに書くかどうかは迷っています。

2013年に寄せて

明けましておめでとうございます。
本当にあっという間に1年が経ってしまうと危機感ばかり募ります。

昨年を少し振り返ってみると、激動だった様な気もするのですが、一方で、3年前と比べたら本当にたいしたことはないなぁとも感じます。

嬉しいことに、年末ぐらいから、いろいろと考え続けてきたことに対して少し答えが出てきたような感触があります。

6月ぐらいにとある方に、今までいろんなことに挑戦したみたいだけれど、それはほとんどが劣等感によるものからだよねという指摘をいただいてから、その言葉がずっといい意味で引っかかっていました。別の方からもなにか苦しそうに見えたという意見をもらっていたので、指摘をいただいた時すぐに、劣等感からだったということは腑に落ちたものの、では果たしてそれに変わるエネルギー源はあるのか?ということがずっとわかりませんでした。自分が求めていたものはコミットメントのためのエネルギー源でした。

それが12月のある晩、ふと心の中に成長したいという漠然とした、でもそれがなぜなのかまったくわからない気持ちというのかエネルギーの状態で浮き上がってきました。少し考えてもこの理由はわからなかったので、いつも自分がするように無意識を信頼し任せ、放っておくことにしました。その翌日、親友が読みたいと言っていたので自分も読もうと思いたまたま手に取った、伊賀泰代さんの「採用基準」を読んだ後、自分の中でその理由も解けたような気がしました。

この本のタイトルは、採用基準で、そのまま読むとマッキンゼーの採用基準となります。その基準は「リーダーシップ能力」、「地頭の良さ」「英語力」という3つの要素であって、中でも一番求められるものはリーダーシップの能力であるということで、ほとんどが日本人にはあまりなじみのないリーダーシップ能力について書かれています。

採用基準

採用基準
著者: 伊賀泰代
ページ数: 248ページ
出版社: ダイヤモンド社
発売日: 2012年11月8日

この本の最後に、リーダーシップ能力を磨けば磨くほど、より大きな問題を解決していけるようになるということが書かれています。自分にとってのポイントはここでした。先ほどのなぜ成長したいかと思ったかの自分としての答えは、あまりに無邪気すぎる答えなのかもしれませんが、成長すればするほど、多くの人を倖せにできる可能性が増えるかもしれないということでした。でも、この答えにたどり着いたときに、ああ自分の一人だけのためではないんだと、なにか安心することができました。

前置きが長くなりました。

2013年に寄せてとタイトルを書きました。成長するというのは、おそらく生きていて、意識がある限り、永遠のテーマになるのだと思いますが、それでも今年はいくつかの点で、目に見える形で成長したと実感できる年にしたい。そのためにはまず時間の使い方を根本から変えていかなければならないわけですが、たぶんいきなりいっぺんにやろうとすると、失敗します。ので、まずは上に書いた多くの人を倖せにできる可能性が増えるということを何度も意識するということから始めたいと考えています。

そのようなわけで、自分の中ではいつもとちょっと違う年明けのような気がしています。これからもよろしくお願いいたします。

FriendFeed、始めました。

なにごとも便利なものに飛びつくのが遅い、というか情報を知るのが遅いような気がしていますが、先日からFriendFeedを始めました。
ブログを書いている人が FriendFeed を始めるべき7つの理由というエントリを読んで、だいぶん便利そうだなぁと思ったので、使ってみることにしました。

自分のFriendFeedはここになります。
milkcocoa – FriendFeed

ただ、最初はどうやって自分のFeedを登録するのかいまいちわからなかったので、UIをブラッシュアップして使いやすくなってくれると最高です。

このblogの更新はもちろん、twittertumblr先に挙げた早起き生活、etc。。。全部集約できているのがいいなぁと思います。

上記のエントリに利点が全部説明し尽くされているので、ここで改めて説明する必要もないのですが、他の人をfollowすればその人がFriendFeedに登録してあるフィードをすべて、同時に見ることもできるのが便利だったり、いろいろグループ分けしてフィルター代わりになったりとかとか。

Imaginary Friendとかをたくさん作って、うまいことフィードを分類して読みたいなぁと思うところです。
いろいろと使い倒せば相当便利なツールになりそうな気がしています。

早起き生活、始めました。

以前は帰りに英語などをやっていたのですが、どうもそれだと疲れてしまって頭が働かない!ということで、朝にずらしてみました。
最近自分の周りで早起きさんが多いこともあり、少しでも仲間はいた方がいいです。

目標の生活としては

5:00 起床
5:00 – 5:30 モーニング・ページを書く。
5:30 – 6:30 入浴や準備など。
6:30 – 8:00 電車。
8:00 – 10:00 英語等。

という流れにしたいところです。
今のところはまだうまくいっていません。
起きるのが5:30以降だったり、今朝は5:00前に起きたのにもかかわらず、MacBook Proに麦茶をぶっかけてしまい一時起動不能になりモーニング・ページどころではなかったとかですね。

そして、そんな生活を支援すべく「早起き生活」というWebサービスに入り、記録を付け始めました。
milkcocoaの早起き日記 – 早起き生活

blogのサイドバー的なものに1週間分の記録を表示できるものを貼りました。
早起き生活
Powered by 早起き生活

これは朝起きてページを開いて、「いま起きた!」ボタンをクリックすればいいだけなので、楽ちんです。
できるだけ長く続けて、8月2日のように休みの日でも遅く起きるというようなことはできる限りなくしていきたいところ。

ちなみにMacBook Proは1時間半後に無事起動するようになり、内部を開けて少したまっていた水分を拭き取りました。
ぶっかけてあっっと思った1秒後、電源が切れ、液晶がぷーんと音を立てるような感じで電気が落ちて暗くなり、本当にオワタ\(^o^)/と思いました。

「レスラー」を観ました。

渋谷で「レスラー」という映画を観てきました。
シネマライズという映画館ですが、平日学生は1,000円なのがとてもいいですねw。

主人公はミッキー・ローク扮するレスラーのランディ。

いろいろなものを失い、一度はレスリングを離れる。
そこで新たな道を模索するけれども、さらに追い打ちをかけるように、彼の大切な人ことすべてを失ってしまう。
そのとき、彼はもう一度大好きなレスリングにコミットし直す。

山月記の主人公、李陵が言うように「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。」のであって、彼にはレスリング、そこにしかもはや自分の道や居場所がないということを人生から思い知らされ、気づいたから。

すべてを失ったとき、本当に大切なものだけが残る。
Steve Jobsが2005年のStanford大学での卒業記念講演で

Remembering that I’ll be dead soon is the most important tool I’ve ever encountered to help me make the big choices in life.
Because almost everything — all external expectations, all pride, all fear of embarrassment or failure – these things just fall away in the face of death, leaving only what is truly important.

自分がもうすぐ死すべき存在だということを覚えておくことは、わたしが人生で大きな選択をしようとするときに最も重要なものとなった。
というのは、それがすべてだから。
すべての外的な期待、困難や失敗への恐怖、これらは死というものに面したとき、崩れ落ち、本当に大切なものだけが残るのだから。

と語ったことが思い出された。

そんな状態の自分を救えるのは、残念ながら自分だけしかいない。
それは残酷でもあれ、しかしながら自分自身で決めることもできるという希望の光にもなる。
そのことに気がついたとき、ランディも自分を救おうとし、自分の居場所を自分で作り出そうとする。

だからこそ、泣きながらでも走るしかなく、最後まで全力でコミットしぶつかろうとするのだ。

見終わってエンドロールが流れている間、ふと、今の自分に重ね合わせた。
後になってぐっと来た映画だった。

大学院教育は実社会とかけ離れているのか?

最近とあるベンチャー企業に週3日お邪魔させていただいて、働いています。

そこで働いて思ったのが、大学院教育というものが意外と重要であり、さらに多くの人はそれができていない可能性があるということでした。
個別の研究とかが役に立つというわけではなく1、物事の考え方の話。

たとえば

  • 現状の問題を分析し、問題に対する仮説と検証する方法をたて、検証する。
  • 相手に伝わるようにできる限り明確に具体的に記す。

ということとか。

なんかもっといろいろと書こうと思ったけれど、忘れましたw。
そういうところでしっかりと教育を受けると、普遍的にいろいろなところで対処できる頭の使い方を身につけられるのだと思います(このままじゃ全く根拠なしw)。

  1. この会社ではね、そういう役に立てるような会社に就職するというのは別の話 []

土壇場で掴んだこと

4月1日に、とりあえず区切りとなることがあり、その前の3日ぐらいは本当に寝る間を惜しんで、よく働きました。
締め切り間際だったからですけど。

その時、自分の中での生産性は(感覚的に)通常の100倍でした。

どうしてなのか?

話は単純で、追い込まれたからやらなければいけないことを面倒くさがらずにやったからです。
次にやることを考えて、それに集中してコミットする、たったそれだけ。
本当に当たり前のことです。
それがなかなかできない、面倒くさいとか、なんか嫌だなぁと思って違う本質的ではないことをやってしまう。
当たり前のことが如何にできていなかったかということですね。

今まで頭で判っていたことでしたが、身体で体験してようやく心で解りかけてきた気がします。

そしてもう一つわかったこと。
それは、自分にはそれだけの生産性を発揮できる能力があるということでした。
これはかなり嬉しいことでした。

今まで全く自分は集中できない人で、生産性など全然ないと思っていたからです。
それはやはり自分の思い込みにしか過ぎませんでした。

これからはあまり時間がありません。
集中的に何をやるかを決定し、やらないことを決定し、コミットするということを続けて行かなくてはいけません。

もっともっと人生を楽しむために。

The only way to do great work is to love what you do.

先ほど、iTunesで好きな曲を適当に再生していたら、Celtic WomanのYou Raise Me Upが出てきた。 この曲は、忘れもしない2006年のトリノオリンピックで荒川静香が金メダルを取ったときに、エクシビションで演技したときの曲。

Celtic Woman
アーティスト: Celtic Woman
レーベル: EMIミュージック・ジャパン
発売日: 2006年2月1日

このエキシビションはテレビで見たときに、なんてなんて美しいのだろうか?と思って、YouTubeでも何度も観た。 久しぶりにYouTubeで見たくなって(確かまともなDVD映像やBlu-ray映像は出ていなかったはず)、今のYouTubeはHDに対応しているので、HD映像がないだろうか?と探したら見つかった。

YouTube – Shizuka Arakawa “torino 2006 Olympics” LP (HD)

Turandotを見ながら、あまりにも美しくて、涙が出てきた。

YouTube – Shizuka Arakawa “torino 2006 Olympics” Exhibition (HD)

こういう映像を観ると、YouTubeにはこういった歴史的映像を残しておく義務があるのではないかという気もしないでもないが、その話は今回は置いておくことにする。

Long Programで解説者が「ショートプログラムの時の倍ぐらい、いいのびのスケートですね」といっているように、自分もすごくのびのびと演技をしているように見える。
そして、笑顔ですごく楽しそう。

これが「作品である」ということなのだろう。

このところ、毎日のようにSteve JobsのStanford大学での2005年の卒業記念講演を聴いている。
その中に、こんな一節が出てくる。

The only way to do great work is to love what you do.

この言葉に集約されるのかも知れない。
人間は人生の色々なところで愛を試される。
他者に対して、自分の行うことに対して、そして自分に対して。

その愛の程度によって、その「作品」のすばらしさが決まるのではないか。
それはなぜか?

たぶん手間を掛けることになるからだと思う。
Paul Grahamのエッセイ、「ハッカーと画家(Hackers and Painters)」にはこんな一節が出てくる。

Hackers and Painters」より

レオナルド・ダ・ヴィンチは違った。 彼にとって、絵のある部分にどれだけ手間をかけるかは、誰かがそこを見るかどうかには 関係なかったのだ。彼はマイケル・ジョーダンと同じだ。妥協しないんだ。

見えない細部は、それが組合わさると、見えるようになる。 妥協しないことはこの点で重要だ。 ジネヴラ・ベンチの肖像画の横を通りかかった人々は、 すぐにその絵に気を止める。絵のラベルを見てそれが レオナルド・ダ・ヴィンチによるものだと知るより前からだ。 全ての見えない細部が組合わさることにより、 まるでほとんど聞こえないかぼそい声が幾千も合わさって一つの旋律を歌っているかのように、 ある種圧倒される何かが創られる。

Paul Graham 『Hackers and Painters』

これを読んでいると、なぜSteve JobsがMacintosh開発の際に、開発者たちに芸術家であれと言ったのかその理由がよくわかる。
彼は芸術家がどのように作品を作り上げ、それが世の中に大きなインパクトを残すのかを知っていたからではないか。

もう一度、荒川静香の今度はエキシビションに戻ってみよう。
ここで解説者は「丁寧さがいっぱいあって、(略)普通の選手は足を離した瞬間にパタンって足が落ちちゃうんですよね。その辺がきれいに、すっと降りてくる、(略)全く無駄な動きがないんですよね。」といっている。
こういう細かいところの積み重ねが、全体としてのすばらしい美しさに繋がる。

その「作品」を愛した度合いだけ、どうあったらいいのか?どうすべきなのか?ということを考えて、そして行動してみる。
この愛情の強さが、Steve JobsであればMacintosh、iPod、iPhoneを生み出した原動力になったのだと思う。

であるとすると、このようなことを考えているうちに、もう一度「愛とは何か?」という問題に戻りたくなる。

人生のパスを変える

この数年ずっと色々なことを考えて(いや悩んで)いましたが、その一つは本当に自分がやりたいことはなんなのだろうか?ということでした。

何かを選択するというよりも、何を捨てるか?をようやく考え始めました。
やりたいこと、学びたいことはいくつかの柱があるのですが、問題はどんな人間には限られた時間がないということです。
これは非常に残念なことでもあり、時間が限られているからこそSteve Jobsが2005年にStanford大学の卒業記念式典で演説した中で言ったように、生命が生み出した最も重要なことでもあります。

この先何年、何日生きることができるのか?誰にもわかりません。
ある日突然、事故や病気に遭ってしまうかも知れませんし、ふとした瞬間自殺してしまうかも知れません。1
わかりません。

だとすると、一番心がワクワクしそうなことを選ぶしかなかったのです。

色々なものを捨て去るときだと思いました。
なんでだかわからないので、うまく書くことができませんが、村上春樹の「ねじ巻き鳥クロニクル」を読み返していたときに、ふと、自分を救わなければならないと思うに至りました。
色々なものにとりつかれている、ある種洗脳されている(どんな人も親や周囲の環境からの洗脳を受けていますよね)、心が死んでいる、自分自身を自分が救わなければならないと思ったのです。
自分の心が望む方向に、心がワクワクする方向に、自分のヴィジョンと合致する方向にだけ、その中で最も良いと考えられるパスに舵を取ってあげる必要に駆られたのです。

切実に、そうするしかないという気になったのです。

ただ、裏返すとこれは完全にもう自分でリスクを負うしかないということです。
しかしながら、攻撃こそ最大の防御であるという気がしています。
動き続けることで、きっと道は開けてくる。

ということでパスを変えることにしました。

  1. あくまでも可能性のお話しなのです。 []

大切にすることと、決断すること、リスクを取ること

以前、こんなことを書きましたが、ここで書いた1秒1秒を大切にするということについて、こちらを読んでいたら全く気づいていないこと or 忘れていることがあったことに気がつきました。

渡米して最初に思ったこと(1) – 自由の本質、、、at your own risk (人のせいにしない) – ニューロサイエンスとマーケティングの間 – Being between Neuroscience and Marketing」より引用

何を引き受けたら自由を持てるかというと、僕は(自分が何かを決めているときに)決断をしているという認識、決断をする勇気、決断をしたことを引き受ける責任感だと思う。

引用元: 渡米して最初に思ったこと(1) – 自由の本質、、、at your own risk (人のせいにしない) – ニューロサイエンスとマーケティングの間 – Being between Neuroscience and Marketing

自分には全くこんな認識がありませんでした。

1秒1秒を大切にするというのは、この1秒を何に使うのかを真剣に決断するということであって、何かを捨てなければいけません。
何を大切にするか、そして何かを捨てているかという感覚を常に磨くこと。
I don’t know what I want.という状態ではどのように使うかを決めることは不可能です。

あまりにも今までの自分はそういう選択ということに無頓着すぎ、さらにそのようなメタな視点は持っていませんでした。
どのような進路を進むかというような、明らかに誰がみても選択だということが選択の本質ではなく、ただの一部分に過ぎないということ、もっと重要なのは、「本当は何を望んでいるのか」ということを感じて、その上でこの一瞬をどう使うのかということが選択。
資生堂のコーポレートメッセージに、「一瞬も 一生も 美しく」というものがありますが、「一瞬も 一生も 選択だ」というです。

また、その決断には当然リスクを取ることが必要であって、そのリスクを含めて真剣に考えるということ、それが本来の自由であるという視点は全く欠如していたものです。
書いていて、ここら辺はまだ何とも言えないところなので、もっと自分がどのように咀嚼するのか?を待たないといけないかなと思います。