Category Archives: Words

今更ながらほぼ日手帳を買いました。

 昨年ほぼ日手帳を買おうと思っていたら、いつの間にか忘れていました。あの手帳を毎日見ることを日課にしようかと思っています。そうすれば、GTD的になるのかなぁと。GTDまできっちりやるつもりは今のところなぜかありませんので、これがちょうどいいかもしれないと思ったのです。

 ちょっとだけ驚いたのは、Apple製品ほどではないとは思うけれど、粋な化粧箱。そう高いものではないけれども、それでも購入して良かったと思わせてくれます。たぶん、この手帳は特にそうだけれど、ものって買って終わりって言う訳じゃないと思うのですよね。こんだけ良いのだったらほかのものもほしいと思えるようになる。

 パッケージを開いた時に書かれている言葉。

「なんでもない日、おめでとう」という言葉を、
かつて人々は、冗談として聞いたものだ。
しかし、王様も大金持ちも、鼠も孔雀も、恋人たちも、
いちばん欲しいのは、そんな日々じゃないのかね。

<「セフティ・マッチ氏の焚火話」より>

 やはり糸井重里はコピーライターであって、言葉とこころに真摯に向かい合ってきたのだなと思わずにはいられない。言葉とこころに向き合うことは自分自身に向き合うことと等価であるとわたしは思っている。

 さて、今日から始めよう。この手帳の1月2日にはこんな言葉が載っている。

計画を実行したければ、
元旦にスタートを置くなんていう
手ぬるいんじゃなく、
毎朝にスタート・ラインを引くべきだな。

<岡本太郎さんの言葉『TAROのひとこと』より>

すてきな字

 すてきな字というか、美しい字というかそういう字を書く人に以前からすごく憬れています。

 好きだった人(過去形でいいのかな?)の字はとてもきれいで、そんな字になりたいなぁと思っていて練習をしたときがありました。

 ふと、ほぼ日刊イトイ新聞の「すてきなふだん字。」という企画を見ていたら、一文目がこんなコピー。

好きな人の字をまねしたら、
その人みたいになれるのかな?

 やられました。

 完全に。

 「ああ!そういうことだったのか!!!」とすとんと言葉が胸に落ちて、心に落ちました。

 正直、このコピーでおなかいっぱいになってまだ内容を読んでいません(笑)。でも、それぐらい自分にとって衝撃的な言葉でした。

tumblrを使ってみて

 tumblrを使ってみて、1週間ぐらい経ちました。

tumblr始めました
milkcocoa.tumblr.com

 最近は、ネットで気になる文章を見つけたら、選択してtumblrに載せてます。

 そして、それをあとで何度も読み返す。

 個人的にはとても大切なスクラップができているなぁと感じます。

 これに、自分のコメントも入れるようにすると良いのかもしれません。

最近考えたこと

 格言調に。

「優しさ」と「甘さ」は似て非なるもの。
「甘さ」は毒となり、本当の「優しさ」は時として残酷なほど厳しい。

「優しさ」を「甘さ」だと勘違いしてしまうと、人に対してパワーコントロールをし、「甘さ」を強要してしまう。

犠牲を美しいと感じるその深層には、自己に対する罪悪感があるから。
犠牲は結局のところ、そういった罪悪感に対する補償行為である。

本当の「道徳」教育というのは、健全な(思考停止といわれるかもw)自己愛を身につけさせることであり、それに代わるものはないのではないか?

未来の自分に託す問

 常に問い続けること

 適当に「味方」になるような「助言」をすることは、その場を取り繕うものでしかない。しかしながら、そういった偽りの「助言」、偽りの「正しさ」はその場を「取り繕う」ことがあるにせよ、実は本質的に見て、人生のずっと先を見て、その人を滅ぼしかねないことがあるということがわかるであろうか?本質的なことを気づかせないことへの手助けが、壊滅的なものをもたらすということがわかるであろうか?ユングの言う「自己実現」の妨げになるということがわかるであろうか? この愚かさがわかるであろうか?

 敵だの味方だのの二元論的思考は、身を滅ぼすことがわかるであろうか?そのような二元論的思考が、どんなにかルサンチマンによる価値逆転であり、偽りの自己肯定感を得るためのものであるということが、わかるであろうか?また、敵だの味方だのというのは、自分の自我が作り出した幻想であることがわかるであろうか? 唯一、敵がいるとすれば、それは己自身の中に存在するだけ。 本当は、それすらも敵でも味方でもないであろう。

 この世界がいかに自分自身の心を写す鏡であることがわかるであろうか?自分を倖せにできるのは、他の誰でもない唯一自分自身だけというのがわかるであろうか?自分の感情すべては、自分自身に責任があるということがわかるであろうか?「正しさ」が破滅をもたらすことをわかるであろうか?人の行動の中にどうすることもできなかった、無意識的なるものがあることがわかるであろうか?〜のせいだと(人、ものすべて)「被害者」になることが、自分にとって甘い「蜜」になっているということがわかるであろうか?

参考
被害者になってしまう心理〜依存心を手放して“無害者”へ〜
「自分のために生きていける」ということ — 寂しくて、退屈な人たちへ

 よく言われる「ありのままの自分」ということについて。「ありのままの自分である」ということの、その本質は、メタ意識により、感情を抑圧せずに感じ、先入観(自己概念含む)、他者意識、他者承認、投影など諸々のものから自由になることであろう。他者意識、他者承認から自由になることがどれだけ大切かわかるであろうか?

参考
「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」

 恐怖、期待からの自由ということが大切なことがわかるであろうか?

 再び書くことになるが、それらから自由であるためには、メタ意識を使って自由であろうとすることが必要であろう。

 無知ということがいかに危険なことであるということがわかるであろうか?
 すべてのことは、何一つ無駄ではないということがわかるであろうか?

 自分は常に問い続ける必要があるであろう。

こうの史代: 長い道

 昔から阿吽の呼吸などといいますが、心にはどうやら波長というものがあるような気がします。心の波長が合ってくると、ちょっとした変化から気持ちの変化が読み取れてしまったり。今日はいいことあったのかなとか、そうでないのかなとか。

L25でオススメされてました

長い道
著者: こうの史代
ページ数: 213ページ
出版社: 双葉社
発売日: 2005年7月28日

 研究室においてあった、L25でオススメされていて、興味を持ったので買ってみました。

あらすじなど

 両親が勝手に結婚することに決めてしまった荘介どのと道の物語。荘介どのの方は、全然タイプではないといい、しばしば浮気をするわ、道を質に入れようとするは、本当にひどいと言ったらひどい。一方で、道はそんな生活にもかかわらず文句の一つも言わず、健気に淡々と家事をこなし、アルバイトもする。

 一見全く不幸そうな二人ですが、なぜか倖せそうなところに、この漫画の非日常的というかおもしろさがあるのでしょう。

 浮気などをしつつ、道が風邪を引いたら心配そうに看病をする荘介どの。一見何も考えていないような、全くとんちんかんな答えをしつつ、意外と実は色々と考えているだろうということを思わせる雰囲気を漂わせる道。どうして、こんなにも楽しそうにみえるのでしょうか???

 そんなのらりくらりとした雰囲気がこの漫画全体にも、ギャグとシリアスの絶妙なバランスとして漂っています。

 ゆっくりと時がが流れる日常を過ごしながら、お互いにだんだんと情なのか愛なのかが生まれてきます。浮気をしても道の働く姿を見て、道の元に戻ってくる荘介どの。不思議な力だけれど、「そうですか」の話からもわかる気がします。以前、自己愛のところで受け入れてくれる存在がいることでというようなことを書いたと思いますが、道の存在は荘介どのにとって実はそういうものなのでしょうね。

心に残った言葉

 いくつか心に残ったことがあるので、挙げておきます。

叶うと いいです ねえ

ねえ 荘介どの

おカネのほうは よくわからない けど
もし 荘介どのの願いがかなって
本当に大切だ と思う人に 出逢った時
おかえりと 言うのは わたしでは なくなるの かもね

でも そういう事なら いいのです
シアワセになったかなあ と心配しなくてもすむもの

竹林どのの時みたいに

こうの史代『長い道』

でも 判ってる しな
そうそう 忘れるもので ない事ぐらい
相手が 生きていても
十年経っても
そして 新しい 好きな人が 出来ても

(略)

…竹林どの
わたしも シアワセになっても いいのですよね?

こうの史代『長い道』

ほんと馬鹿
おれなんかと 結婚しちゃってさ
…今さら イヤだって言っても おれもう別れて やんないかもよ

こうの史代『長い道』

 と、ここまで書いて物語で重要な竹林どののことを書くのを忘れてしまいましたw。

 最後に一言書いておくと、どの道を選ぶかよりも、選んだ道でどう生きるかが重要ということをここでもいっているのかなぁなんて思いました。

いつだって成長の種: フルーツバスケット

スルメ好きですか?

 スルメおいしいですよね。カラシマヨネーズつけて食べるの最高♪

 高屋奈月さんの「翼を持つ者」を読みました。それについても後ほどき書きますが、その中で高屋さんは現在はフルーツバスケットを描いていて、スルメみたいな話を描きたいとコメントに書いています。

 まさにスルメ。読めば読むほど、気づくものがある − そんなお話。なんどもなんども絶望から救ってもらいました。

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