Monthly Archives: November 2006

堀江里沙「まごころ」

 mixiを見ていて、たまたま堀江里沙という人がオススメということで、iTunesで試聴してみました。

まごころ 堀江里沙 - まごころ
堀江里沙
発売日: 2006年10月4日

  1. まごころ
  2. 弱者と敗者
  3. 後悔
  4. グッバイレター
  5. 一人だけど独りじゃない
  6. ふたりのまま
  7. 綺羅星
  8. 遠雷
  9. メトロ
  10. 幸花
  11. ナチュラリー
  12. ありがとう

 これはすごいなー。とまずは感心。かなり興味を持ちました。歌唱力がかなりあります。そして、音も澄んでいてマスタリングがいいことが容易にわかります。

 iTunesだとアルバムで1,500円なんですが(125円/曲)、CDは2,500円。かなり迷って、iTunesで買いました。

 びっくりですよ。すごいです。悲痛な叫び、狂気満載です。でも、狂気のなかに救いがあるんですね。鬼束ちひろのように。鳥肌もんです。こういうのが一番好き。iTunesで買ってしまいましたが、歌詞が見たかったのでCD自体を買った方が良かったと後悔。買い直そうかな。今ヘビーローテーションしているのは「メトロ」です。最初聞いたとき、涙が出ました。

 たとえば、「弱者と敗者」の歌詞。

弱者と敗者

どこか引用しようかと思ったんですが、全部がすごすぎて、狂気で一部分は無理。

 でも、また歌詞で取り上げるかもしれません。

Apple Store(Japan)

とりあえず、高周波!!!

 日本人が英語を苦手とする理由のひとつに、音域の違いと言うことがあります。英語は日本語よりも遙かに高い音なので、低い音に慣れている日本人は必然的に英語の聞き取りを苦手とする。これを克服するには、英語をシャワーのように浴び続けるのが一般的だと思います。

 さらに、高周波だけを強調した音があれば、それに対応できるのが早くなるのではないか?という考えで、こういう本があります。

2週間で英語が耳に飛び込んでくる!
奇跡の音、英語聴覚セラピー

著者: 篠原 佳年
ページ数: 64ページ
出版社: きこ書房
発売日: 2006年7月21日

 効果のほどはよくわかりませんが、少し試してみることにします。

NHKのビデオオンデマンド

見逃した番組を楽しめるNHKオンデマンド、2008年内にも開始の見込み

 2008年中に開始予定のビデオオンデマンド(VOD)サービスの概略について何ですが、最近の家電やYouTubeなどが研究されているように見えて、実現したらとてもすばらしいものになるような気がします。

登録後に与えられるマイページでは、登録情報と番組のメタデータが照合され、ユーザーの嗜好にあった番組が推薦されるという。

 こちらはスゴ録とかについているやつですよね。YouTubeでも関連項目とかも見られます。

番組のサムネイル画像をマウスオーバーすると、出演者の情報や関連番組、番組に対する評価や感想が表示されるようになっている。

 評価や感想というのは、やっぱりかなりYouTubeを意識しているのでしょうか?
 
 このプロジェクトをきっちり実現させて、民放も同じようなものをつくってくれたらと思います。あとは値段など。NHKは国民の共有財産なんだからただ + DRMなしでいいんじゃないの?っていう感じもありますが・・・。

揺れる心

 本当に大切なものは何なのか?常に考えている。いろんな本を読んだり、自分で想いを巡らせてみたり・・・。でも、まだイマイチちゃんとつかめていない。色々読むと、ああ、これも大切で、あれも大切だと思う。その中から、どれが本当に大切なのか?自分が「これだ!」と思うものを見つけていかないといけないのかもしれない。すごく難しい。もしかしたら、一生かかってもできないことなのかもしれない。

 でも、ひとつだけ言えることはある。自分は今まで大切にすべきものを大切にしてこなかったということ。大切なものがよくわかっていないくせに、大切なことを大切にしてこなかったというのはひどく矛盾があるようだけれど、これはその上に記した大切にすべきものの候補からはとても外れているという直観なのだろう。自分の自我を守ることばかりに専念して、それを見失っていたということ。それだけはわかる。だから、だからこそ、ある意味懺悔のために、探し求めているのかもしれない。

 そう思いつつも、その道徳的直観というものは果たして正しい直観なのだろうか?ということも考えざるを得ない自分もまた存在るのである。

文章がうまくなりたい

 どうしたら文章がうまくなるのだろうか?ということをよく考える。たぶん、たくさん書くしかないのだろうということは頭でわかる。練習するしかない。

 なんとなく、感覚で自分の文章を読んで、イマイチだなぁと感じることはできる。だから、なにか心の中に判断基準というか、価値基準というか、西洋哲学的な本質?(これはかなりおかしいことをいっているかもしれない)が無意識的に眠っているのかもしれない。でも、その判断基準を意識化するというのはなかなかできるものではない。

 そんなことをつらつら書いていて、そんなの当たり前だといわれてしまうかもしれないけれど、この判断基準というもはかなり主観的なものなのだなぁと思った。そうなると、一番大事なのは、どうすれば一番自分を満足させることができるのか?ということなのかもしれない。自分との対話ということ。

 いくつか書評を書いてみた。ただ、自分の中で何が書評なのか?ということが未だにすごく疑問。どんなことを書けばいいのか?あらすじ?自分が思ったこと?それともなにか他の・・・?他の人の書評を見ていても、千差万別。

 こちらもやっぱり、自分が好きなことを書けばよいのだということになるのだろう。自分が好き勝手に書いて、納得すればそれでいい。つまりは、やっぱりこれも試行錯誤して自分の納得のいくパターンをつくっていくしかないのかもしれない。

 こう考えると、ある意味、その人の歩んできたもの、それ自身がにじみ出るかもしれないよね。