常に問い続けること
適当に「味方」になるような「助言」をすることは、その場を取り繕うものでしかない。しかしながら、そういった偽りの「助言」、偽りの「正しさ」はその場を「取り繕う」ことがあるにせよ、実は本質的に見て、人生のずっと先を見て、その人を滅ぼしかねないことがあるということがわかるであろうか?本質的なことを気づかせないことへの手助けが、壊滅的なものをもたらすということがわかるであろうか?ユングの言う「自己実現」の妨げになるということがわかるであろうか? この愚かさがわかるであろうか?
敵だの味方だのの二元論的思考は、身を滅ぼすことがわかるであろうか?そのような二元論的思考が、どんなにかルサンチマンによる価値逆転であり、偽りの自己肯定感を得るためのものであるということが、わかるであろうか?また、敵だの味方だのというのは、自分の自我が作り出した幻想であることがわかるであろうか? 唯一、敵がいるとすれば、それは己自身の中に存在するだけ。 本当は、それすらも敵でも味方でもないであろう。
この世界がいかに自分自身の心を写す鏡であることがわかるであろうか?自分を倖せにできるのは、他の誰でもない唯一自分自身だけというのがわかるであろうか?自分の感情すべては、自分自身に責任があるということがわかるであろうか?「正しさ」が破滅をもたらすことをわかるであろうか?人の行動の中にどうすることもできなかった、無意識的なるものがあることがわかるであろうか?〜のせいだと(人、ものすべて)「被害者」になることが、自分にとって甘い「蜜」になっているということがわかるであろうか?
参考
被害者になってしまう心理〜依存心を手放して“無害者”へ〜
「自分のために生きていける」ということ — 寂しくて、退屈な人たちへ
よく言われる「ありのままの自分」ということについて。「ありのままの自分である」ということの、その本質は、メタ意識により、感情を抑圧せずに感じ、先入観(自己概念含む)、他者意識、他者承認、投影など諸々のものから自由になることであろう。他者意識、他者承認から自由になることがどれだけ大切かわかるであろうか?
恐怖、期待からの自由ということが大切なことがわかるであろうか?
再び書くことになるが、それらから自由であるためには、メタ意識を使って自由であろうとすることが必要であろう。
無知ということがいかに危険なことであるということがわかるであろうか?
すべてのことは、何一つ無駄ではないということがわかるであろうか?
自分は常に問い続ける必要があるであろう。