頭から抜けない「魔法遣いに大切なこと」

以前、エントリにもした「魔法遣いに大切なこと」。

魔法遣いに大切なこと 〜 夏のソラ 〜 (1)
著者: よしづきくみち
出版社: 角川グループパブリッシング
発売日: 2008年6月26日

これがなぜだかわからないけれども、どうしても頭から抜けなかった。
数日間、ふと目ざめる瞬間、あの漫画が頭によぎってしまう。 

漫画なのにおかしいと言われれば確かにその通りなのだけれども、色々なことを悩んでしまうのだから仕方がないと思う。

そこで、少し突っ込んで感じたことを書いていこうと思う。
ただ、感情的なことを綴っているので、こういう思いに至っている背景もわからないだろうし(とても全部書ききれるものではありません)、いつもよりも余計わかりにくい文章になっています。1

以下ネタバレを含むので、注意してください。 

なぜ鈴木ソラは死ななければならないのか?

書いておいてどうかと思うけれど、この問題をなぜと考えても答えはない。
感じたのは、とてもただただ悲しい、ということで、その目ざめる瞬間に頭によぎっていたこと。
 なにせ「おはなし」であるし、現実にそういうことが起こったとしても病気になってしまったからとしか言えない。

なぜだかよくわからないけれど、自分の中でものすごい転移が生じているのはわかる。 

書いていて、なぜ死ななければならなかったのか?というよりも、なぜ作者は死ぬことにしなければならなかったのか?という方が適切なのかも知れないように思えてきた。

鈴木ソラはどうして、自分のあの運命、もうすぐ死んでしまうということを受け容れられたのか?

作中、彼女は諦め、覚悟をしているとさっぱりと言った。2
残念ながら、その諦めにいたるところは描かれていないが、彼女は残された日々を魔法士になるために淡々と、でも明るく過ごしている。

自分に当てはめて考えてみると、もはや残された時間が僅かしかないとわかったとき、そして心から果たさなければならないことがあるとわかっているとき、そのことで悩んでいる暇はないのかなと思う。
悩んだり、泣いたり、悲しんだり(どれも同じようなことだけれど)、それで病気が治るのであれば、よくなるのであれば、だれでもそれをするだろう。
けれど、現実はそうではないので、果たさなければならないことがあるときにはもったいないと思うのかも知れない。
なったことがないから何とも言えないけれど。

そんなことをぐるぐる頭の中で想いを綴りながら、ではどうしたらそのような過酷な状況でなくとも、彼女のように明るく精一杯過ごせるのだろう?とも考えていて、ふと降りてきたのは彼女は1秒1秒を楽しんでいるのではないか?ということだった。
自分にはあの豪太との東京巡りの時、ただならぬ好奇心を振りまいて楽しそうにしている姿がとても印象的だった。 

それを見ていたら、自分も1秒1秒を大切にしたいなと思った。
自分にとって大切な1秒を悩んで過ごすことも出来るし、それで一方、1秒を楽しむためにも使える。
だったら(説得力は弱いけれど)、楽しむ方に使いたい。

こんなことに今までは漠然と、頭では判っていたことではあったけれど、心では解ってはいなかった。
もちろん完全に心で解ったとはとても思えないけれども、この漫画は解りはじめるきっかけにはなった気がする。

言葉にしてしまうと陳腐だし、説得力が全くない感じがするけれど、これからは1秒1秒を大切に、少しでも楽しみたい。

  1. こういう感情的な文章をきちんと書けるのが小説家なんだろうな。無意識にあるものを文章として吸い上げることが出来るような。 []
  2. まあ、その後で豪太に泣きついたけど:-P []