努力と才能と遊び

才能って、
「努力を惜しみなくできる力」なんです。

 わたしは「努力」ということばを信じませんが、それはただ単に才能に至るような「努力」が存在するかしないかの問題だと思っているので、この言葉にかなり同意です。

 超一流な才能に至るような「努力」というのは、たぶんやっている本人にとっては「努力」とは感じていないのではないか?という感じがしています。どうも「努力」という言葉に付いているイメージは、嫌々やりましたというイメージ。

 対して超一流といわれるような人々にしばしば見られるのはそうではなくて、たぶんもうやりたくてやりたくて仕方がないような、そういう状況にあるのではないかと思うわけで、これを「努力」と呼ぶのはいかがなものか?と思うわけです。ですので、たぶん本人たちは遊び感覚でやっている。

 もう一つここには隠されていてそれは密度。やりたくてやっている状況というのは非常に密度が高い。どなたかもいっていると思いますが

才能 = 遊び(好きの度合い)の度合い × 時間 × 密度

だと考えられます。

 そういうことを思っていると、天才というのはこの才能のかけ算の各項目が常人よりも遙かに突き抜けているのではないかと考えられます。

 では、この式の数字を上げるためにはどうしたらよいのかは、、、好きになることしかないのかなぁ?というありきたりな答えになりそうです///

 浅いエントリになってしまった・・・。