監督は気づかせ屋さん

 テレビ東京のカンブリア宮殿という番組で1月の始めに楽天イーグルスの野村克也監督についてやっていました。

 野村監督に注目したのは楽天の監督になってからだったと思います。確か読売新聞の記事。それまではID野球は言葉でしか知らず何のことかなど全く知りませんでした。その記事は失念してしまいましたが、ただ闇雲にバットを振るのではなくてきちんと考えることが必要であって、それをすることで選手が復活したみたいなことが書かれていたような気がします。

 色々と学ぶところが多かったのですが、司会の村上龍氏も社長が言うような話とよく似ていたと最後に言っていたように、監督というよりはもっと普遍的な話をしていたように聞こえました。非常に教養があるのだなぁと話を聴いていてよくわかります。

 ID野球の提唱者?でありますから、野球は考えるスポーツであるということを言うわけですけれども、なぜ野球は考えるスポーツなのか?ということをそのことに気づいた経緯および理由について示されていました。

 それで今、自分の中で一番かみしめているのは、「監督は気づかせ屋さん」という言葉。野球とは?というのを考えさせたり、「お前こういうときどうするんだ?」と聞いて、その答えを聞くことで理解度を測っているといったソクラテス的な問答をしている、それがかなり響きました。

 説教するのは簡単で、ともすれば押しつけがましいと感じたり反発したりしてしまいますが、ソクラテス的な問答は気づきをもたらします。しかしながら、やる方もすさまじくエネルギーがかかります。聞かれる方以上の圧倒的な知力がないといけません。

 そんなことを考えていたら、ギリシアの哲人たちの本を読まないといけない気がしてきました。

 話を野村監督に戻して、Amazonで検索してみたら、「野村ノート」という本が出てきたので今度読んでみようと思います。

野村ノート
著者: 野村克也
出版社: 小学館
発売日: 2005年9月