今、カルトとはなにか?宗教とはなにか?めちゃめちゃ考えています。
以前から心理学について学ぶのが好きで、少しずつ本を読んでいます。中でもビジョン心理学は好きで、これを知ってから結構物事を新しい視点で見ることができるようになって、いろんなことがわかったような気がしてきました。もしかしたら、気がしているだけなのかもしれません。
さて、そのビジョン心理学ですが、その説明には心理学とスピリチュアルを統合したものと書かれています。そして、このビジョン心理学の創始者であるチャック・スペザーノは、ビジョン心理学を確立した後、この心理学が”A course in miracles” (ACIM; 奇蹟の学習コース)と呼ばれるものに非常に似ているということに気づいたと書いています。気になるのは「スピリチュアル」という部分です。昨今、スピリチュアルブームらしく、いろいろと出回っています。正直、信用できるか?と聞かれるとうーんとうなってしまうものが多いです。見ている分には楽しいと思いますが。
ビジョン心理学の本を読んでいると、人間の思考の仕組みについては心理学的に書いてあるような気がします。気がしますというのは、私は心理学者ではないので今のところわからないからです。そして、問題が起こる背景には自分の観念があり、それを投影しているためというようなことが書いてあります。そして、それを解決する手段として観念に気づき、変えていくということになっています。そして、ここの部分にいわゆる「スピリチュアル」的な方法が使われているという仕組みです。たぶん、こういう観念を変えていくためにはある種シャーマン的なこういう方法を使うことが、人間に対してもっとも効果的であるためと考えられます。
しかしながら、こういった手法は下手をすると宗教的、あるいはカルト的だと考えられます。非常に近いものであると感じざるをえません。
そこでまず必要なのはなにが宗教でなにがカルトなのかということだと私は考えました。ですが、これはあまり容易なことではありません。そして、この両者の区別も非常に難しいところです(私はキリスト教もカルトだと考えているので)。
そして、私は宗教を全否定するつもりもありません。
とりあえず定義が非常に難しい気がするので(気がするだけ?)、私の拙い知識で宗教の問題点を探ろうと思います。
1. 依存形成
宗教は依存を形成すると考えています。そして、宗教の教義に依存するために思考が画一的になります。そのためには、無価値感・罪悪感を植え付けなくてはいけません。無価値感は他のなにかがないと生きていけないと思わせ、罪悪感を癒すために宗教があるという言い方をすれば、依存させることができます。
そしてキリスト教は究極の罪悪感である原罪を導入しました。もはや生まれてきたこと自体が罪であるという。カルトがよく霊感商法を利用して不安感を煽るのも究極的には、こうした無価値感・罪悪感を煽るためだと考えられます。
ビジョン心理学や(たぶん)ACIM(これは原罪を否定する)では、そういった無価値感や罪悪感は偽物であるといっています。
「偽物」という言葉にちょっと引っかかりますね。そして、教義 = 価値観だとすれば、画一的になるかもしれません。
2. 以降は考えていたことをすっかり忘れてしまいました(笑)ので、少しずつ思い出しながら書いていこうと思います。
最後にビジョン心理学について書かれている本を挙げておきましょう(ほとんどの本を出版しているヴォイスは正直言って非常に怪しい本ばかり出している)。
それにしても、どうも思ったことがうまく書けない。内容が薄っぺらくなってしまう。ということは、もともとたいした内容を考えていなかったのかもしれない。