「キャッチボール ICHIRO meets you」を読みました。

キャッチボール ICHIRO meets you
著者: イチロー、糸井重里
ページ数:
出版社: ぴあ
発売日: 2004年03月

野球哲学者イチロー。

イチローと糸井重里との対談をまとめた本。
イチローの哲学を存分に引き出した糸井重里はうまいなと思った。
これは野球についての本だけれど、野球についての本ではない。野球であろうが、学習であろうが、アートであろうが、あらゆることがつながっているということを思い起こさせてくれる本。

イチローは野球に関しては一切妥協しなかったというか、妥協したことがないと言っている。
さらりと言うのだけれど、普通は妥協は星の数ほどあるだろうに、一切妥協しなかったと自信を持って言えるということは実はとんでもないことである。
普通の人のいう「努力」とイチローのいう「努力」とのレベルが違うのである。

自分は「努力」という言葉を信じないのだけれども、イチロー自身も努力とは言っていない。
この本で引用されている(この本ほかの本からの注釈が非常に多いのです)ところによると

努力とはぼくは思っていないです。野球をするためにやらなきゃいけないことは、自分でこなしてきていますし、努力とは思っていないですよ。「好きなことに向かっていく、当然の作業」だとおもっています。ただ、何もしないでぼくを天才というのならば、それはまちがいです。

イチロー メジャーへの軌跡

今回、新しい発見だったのは、イチローも「型」に非常にこだわっているということ。
何年もかけて自分の「型」を作ることに力を注いでいた。
なぜ「型」にこだわりだしたのか?直接的には書いていないけれども、数字だけは好調なのだけれど、「打っている感覚がつかめない」という感覚的な違和感を感じたためであろう(イチローはそれをスランプと呼んでいる)。

「型」を発見出来たのは、実は好調なときではなく凡打の時だった。
それは、「何がダメだったのか?」ということを常に考えてその答えが得られたときだった。

自分のイメージに描いたフォームとセカンドゴロになってしまった実際のフォームとを重ね合わせ、方程式を解くようにして。そうしたら、はっきりとした解答が見つかったんですよ。こんなにも明確な解答を手に入れたのは、僕の野球人生の中で初めてだった。

そして「型」が出来ることで自分を客観視できる。
だからこそ自分の行動を自分で説明することが出来るようになる。

今は、自分のやっていることは、理由があることでなくてはいけないと思っているし、自分の行動の意味を、必ず説明できる自信があります。

この視点は非常に大切だと思っている。
なぜ、このときにこれをしなければならないのか?
アートであればなぜここにこの色遣いでこのオブジェクトをおくのかというような。
アートをやっていない人が何を言うか!といわれてしまうかもしれないけれども、それは必要なことだと思っている。
ここにこれを置く必要があるから置くのだというクライテリアを用意しないと、何が良くて、何が悪いのかということを自分で判断できない気がするからである。
逆に言うと、それが出来なければ敢えて捨てるというか、敢えてここは空白にしているのだということも出来ない。
空白への恐怖に耐えられなくなってしまうからである。

学ぶことも同じで、たとえばなぜこの数式(道具)を使う必要があるのか?ということをきちんと説明が出来なければ、それは理解したとは言えないというような。
今までの自分にはこれが決定的に足りていなかったということをようやく自覚し始めている。

この本では至る所に、哲学するイチローの哲学が書いてある。
残念ながら、今は絶版になってしまったようだけれど、古本屋や図書館で手にとって自分の目で読んでいただきたい。