ゆっくりと諦める

 昨日の目標達成率は80%ぐらいだったと思う。

 嬉しいことに少しずつこころが諦めていってくれているような気がする。何をあきらめるのかというと、ある日突然物事ができるようになるわけではないってこと。

 ある日突然、英語が読めたり話せたりすること。

 ある日突然、プログラミングができるようになること。

 ある日突然、・・・。

 そんなことはないって頭で判っていても、こころで解っていなかったから、続けるということができなかった。なかなかできるようにならない自分に嫌気がさして続けられない。泥臭いことがいやでいやで仕方がなくて、魔法のように泥臭いことなしにできればいいと思っていた。

 なんでだかよくわからないけれど、そういうことは絶対にないんだということがようやく心で解るようになってきたと思う。言い訳をしないって決めたからなのかもしれない。天才という抽象的な、よくわからない言葉に甘んじて、自分を甘やかして、言い訳にしていたから。

 たぶん物事に精通するための必要条件は(もしかしたら必要十分なのかもしれない)、泥臭いことを好きこのんで続けられることと、それによって反射神経を養うこと、そして自分のできることできないこと、理解していることしていないこと、つまり自分の状態というのを正確に把握することなのではないか?と思った。もちろんね、ただ泥臭いことをやればいいんじゃなくて、そこには効率っていう重要な観点も入れなければ、「ただ努力した」ということになって終わる(ドラゴン桜などはそれを示した)。

 今度書こうと思っているのだけれど、先日放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」のイチロースペシャルでイチローが2007年に課題としていたことが放送されていた。あのような雲のような存在になってもまだ自分について正確に認識しようとし、自分ができないことを明確にしてそれに対処しようとしている。それがイチローの原動力なのだということがとてもよくわかった。

 先日書評を書いた、「アタマが良くなる合格ノート術」では、ポイントは自分の理解していないことを明確にすることだと書いた。それを今までの自分をしていなかったということをあからさまに感じた。自分のできないことを認識していない → できるところも含めて集中的にやらない → 結果が付いてこない → やる気がますますなくなる。という非常に非効率的な方法だった。

書評: アタマが良くなる合格ノート術

 湯川秀樹が漢籍の素読をやらされたということは有名である。昔の自分はわからない抽象的なことをいきなり習うのが嫌だった。もっとわかりやすくいってくれよ。と思っていた。確かにわかりやすいということも大事なのだけれど、きっといきなり完全に未知な状況に放り込まれても人間の頭というのはついて行けるのだと思った。だって、たとえばいきなり外国に行ってその国の言語について何も知らなかったとしても、見よう見まねで必死になれば使えるようになるのだから(自分はなったことはないけれど、今まで移民とかでたくさんそういう人がいるでしょう)。

 松岡修造は言った。

そんなもんじゃないだろ、お前。
きついのは当たり前だよ。
そこをどうやってプッシュするかだろ?
今までプッシュしたことないんだから。

君が今すごくいいところにいる。
そこの壁を今ぶち破ろうとしてるんでしょ?
世界にいっているやつはもう本当、コート泣きながら、がむしゃらになりながら、いつも苦しいところを突破してずっと頑張っているやつしかいかないんだ、トップには。

 だから、もっともっと自分の頭を信頼して、負荷をかける。それしかないと思う。

(必要だったので一部追記しました。)