紙面という制約

Evernoteというデジタルスクラップブックがあります。
Remember everything. | Evernote Corporation

これのよいところは、デジタルスクラップブックですからデジタル化できるものはなんでも入れることが可能で、しかも英語に関してはかなり優秀な文字認識が付いていますので、画像の中に含まれている文字でさえ検索が可能ということです。

実はこれを使って、中村俊輔の察知力の中で記されているようなサッカーノートのようなものを作れないかということを考えていましたが、どうにもイマイチなような気がします。

何がイマイチなのだろうかと考えていて、明らかに紙の方が物事を考えながら描いていくということに関しては優れているような気がしますが(しかしながら、この理由が明確に正確に説明できません)、それとともに紙面という制約は大きいような気がしました。

デジタルツールでは特に紙面という制約はありませんので、書きたいだけ下に書いていくことができます。
それが意外と仇になりはしないだろうかと。

紙面という制約がないと、どこまで書きつづっていけば終わるのだろうかという(実際には終わりがないのですが)、どこで区切ればいいのだろうか?という漠然という不安があります。

かといって日付で区切ってしまうと、今日はなんだか書いた量が少ないんじゃないかとか余計なことを気にしてしまいます(たとえば今日は日付を書いただけじゃんとか、あまりにももったいない気がする)。

そして、デジタルツールは編集が簡単です。
先ほどの今日は日付を書いただけという日は消してしまえばいい。

でも、それがかえって続かない原因になりはしないだろうか?という気になっています。

かといって、項目ごとに書いてしまうと、過去の自分が何を考えたのかというのを残さなくなりそうです。
日付を入れればいいじゃないかといわれればそうなのですが、 デジタルツールはあまりにも項目ごとにきれいに整理できるので、書いた日付なんて文章に入れたくはない訳です。

うーんここまで書いてきて、よくわからなくなってきた。

ただの心理的問題なのか?
あまり考えていないという問題から目を背けたいだけという。

もうちょっと考えないと、感じないと、実際にやってみないとダメかも。
Evernoteを嫌でも良いから使ってみるとか。