書評: ヘルマン・ヘッセ 「シッダールタ」

シッダールタ
著者: Hermann Hesse
ページ数: 164ページ
出版社: 新潮社
発売日: 1971年2月

 この本は、主人公シッダールタがいかにして宗教的な覚醒を得たのかを綴るフィクションでありながら、それはヘッセ自身の宗教的体験に強く根付いている(らしい)。 タイトルおよび主人公の名前の「シッダールタ」というのは、仏陀の本名、ガウタマ・シッダールタから。この本には仏陀は出てくるのだけれど、主人公シッダールタは別人である。

 語彙力がなく陳腐な表現しかできないのだけれど、とてつもなく文章が豊かで美しかった。それは高橋健二氏の訳がよいということもあるのかもしれない。

 一番心を打たれたのは、やはりクライマックスのシッダールタが達した「真理」 1 を友である、ゴーヴィンダに語ったところ。

 特にこの一文に打たれた。

抵抗を放棄することを学ぶためには、世界を愛することを学ぶためには、自分の希望し空想した何らかの世界や自分の考え出したような性質の完全さと、この世界を比較することはもはややめ、世界をあるがままにまかせ、世界を愛し、喜んで世界に帰属するためには、自分は罪を大いに必要とし、歓楽を必要とし、財貨への努力や虚栄や、極度に恥ずかしい絶望を必要とすることを、自分の心身に体験した。

 この一文が自分を打ったのは、まさに自分が立っているところだからだと思われる。理想へのギャップに抵抗している自分。

 わたしは宗教(宗教性)は必要だと思っている。

 ただしそれは何かに依るというのではなく、自分自身で体験という形で見出すべきなのだろう。体験することの意義は、頭で判ることと、心で解ることは全く異なるからである。気づく目を持っていれば、日常生活から十分に学び得ることは十分に可能だろう。

 だけれども、気づく目を養うことはなかなかにして難しい。往々にして火のない所に煙は立たないのである。だからこそ既存の宗教という物があるのではないのか。

 自分にとって既存の宗教というものは、あくまでもこういう考え方がありますよということを示す観光客用のロープウェイやヘリコプターみたいなもので、それ以上のものではない。断食やらそのほかの宗教的儀式も、そういうような手っ取り早く登るための手段に他ならないのではないかと、わたしは考える。 2

 ということを思っていると、それは教養というものと等価であると、今のわたしには見える。野中郁次郎氏が日経新聞で記した教養とは何かという、まさにこれである。

 歴史学者阿部謹也氏によれば、教養とは「人と人との関係性のなかで自分の立つ位置と社会のためになにができるかを知ろうと努力している状態」だという。その根底にあるのは「いかに生きるべきか」という構えである。

 日常の経営は、日々変化する個別具体の一回性の出来事への対応である。したがって、一般的な論理分析型モデルだけではその本質を理解できない。繊細な観察から日常見過している「あっ」という気づき(文学的感性)から、その背後にある真善美の根拠を考え抜き(哲学的思考)、起承転結の物語(歴史的流れ)のなかで、適時の判断と行為を起す状況認知能力が必要である。これは自らの生き方に照らし、特殊(個別)のなかに普遍(本質)を見る教養の能力である。

野中郁次郎 『日経新聞夕刊 あすへの話題』

 日常生活で起こったことに対して、宗教の教義で説明されていた説明を当てはめることで、その出来事に対しての理由、根拠を深く知る。それにより理由がわからないという不安を消し、自己の成長も期待できる。

 だとするならば、気づく目を養うという意義において、既存の宗教をいくつも学ぶというのは大切なことであろう。しかるに、その意義を十分に理解して、飲み込まれないように注意しなければならない。そして、自分にとって必要なところを、自分の心が選び取る物を信頼し、自分にとっての「真理」を紡いでいけばいいだけのことだと思う。 3

 そうであるからして、そのような他人の精神的・宗教的な「真理」は批判などできない、批判する物ではないという意識が必要なのかもしれない。

 「シッダールタ」の話からだいぶ遠いところに来てしまったような気がした。

 ヘッセは「シッダールタ」で、「真理とは何か」ということを伝えたかったのではなく、「如何にして真理を得たか」を伝えたかったようである。

 もしかしたら、同時にヘッセは、「では、あなたは如何にして真理を得るか?」と尋ねているのかもしれない。そうであるならば、上記の文章は非常に浅いながらも、その答えになったであろうか? 4

  1. あくまでシッダールタが達したもの。 []
  2. 断食や苦行に耐えたってそんなにすぐには見つからんよと反論されてしまう気もするが・・・。 []
  3. あくまでも精神的なことに対してであって、当たり前だけれども科学とは違う。 []
  4. え、なってないって??? []