年を重ねることは悪いことなのだろうか?

 年を重ねることは悪いことなのだろうか?とよく考える。確かに、肉体的に衰えたり、思考が堅くなったりもする。

 肉体の方は置いておいて、思考の方は本当に果たしてそうなのだろうか?と思うこともある。確かに、そういう人が多いとは思うけれど。

 小さい頃にはわからなかったことが、たくさんわかるようになって、そんな自分がすごく嬉しい。

 フルーツバスケットにもこんなくだりがある。

不思議な事に
年を重ねていくと
子どもの頃には 理解らなかった事が
理解ってくる ものなんだね

“あの時は ああするべきだったんだ”
“あの時は ああ言うべきだったんだ”

そんな風にね
色々 理解ってくる

高屋 奈月『フルーツバスケット』 第4巻 第21話

 ただふつうにしていると、「感動する」ってことは少なくなるのかもしれない。その理由は、知らないことが増えてきたりとか、もしくは「感動する」という感情を抑圧してしまうことからなのかもしれない。感情を失うと、心が不感症になると、やっぱり思考に柔軟性が失われるのかも。

 それがある種の「大人になる」ということであったら、それはとても悲しいことだと、自分は思う。

 だから、もう一つ大切なのは「子どもの心も忘れない」ということだと思う。

お母さんは 言っていました

自分が「親」なって初めて
「親」の気持ちが 理解できたって

だけど

だけど本当に 理解しなくてはいけないのは
忘れてはいけないのは
子どもの頃の 自分だって

初めて逆上がりができた日や
初めてたくさん怒られた日の事

子どもの頃 感じた気持ちをちゃんと 忘れずにいれば
大人になっても 親になっても 理解しあえる

100%は無理でも 歩み寄る事はできる・・・って

高屋 奈月『フルーツバスケット』 第4巻 第21話

 心が不感症にならないように、忘れないことは忘れないようにして、変わっていくところは変わっていって、つまり「不易流行」でならなければいけないなと自分は思う。

 結局、常に自分に種を蒔いていこうと思う人は、命がつきるときまでいつまでも輝いていられる。そんな感じがする。自分はそうありたい。