- 2006-12-15 (Fri) 5:35
- Life | Psychology
自己愛について書きましたが・・・
先日、自己愛についてのエントリを書きました。そこで、自己愛についての重要性について自分なりに今思っていることを記してみました。しかしながら、自己愛があまりない人にとって、自己愛を高めるというか、自己存在の肯定感を高めることを自ずからやろうとするのはなかなか困難なことだと思います。
独りでやろうとするのはなかなか難しいから
その先日のエントリの最後に、自分が伝えるべきだと考えていることとして
あなたは存在するだけでいいだよ、すばらしいんだよということをですね。
Cocoa*Life 『自己愛の重要性』
と書きました。誰かに存在を肯定してもらえるというのはとても嬉しいことなのではないか?と思います。
繰り返しになってしまいますが、そもそも自己存在の肯定があまりできていないのだから、自ずから肯定をするのはなかなか難しい。だから、最初は他の誰かに肯定してもらう。人は、それを母親であったり、恋人であったり、そのほかの人にしてほしいわけです。
ただ、自分は自己存在の肯定を高めてあげることと、ほめることとは何か微妙に違う気がします 1 。ほめることというのは 2、その無条件的な肯定ではなく、条件的な肯定の気がするのです。自己愛が低い人に真っ向からほめると、逆に自分はそんなにほめられる存在ではないと思う場合があったりして。ですから、まずは無条件的な肯定をするということが非常に大切なのではないかと思います。
恐怖に立ち向かうということ
当たり前の話ですが、人間は恐怖をおそれます。では、「強い」ということというのはどういうことでしょうか?その解釈の一つに、失敗をおそれずに現実に立ち向かっていくということがあるのであれば、失敗をおそれないということが重要になります。
そのためには・・・
ということが必要なのではないでしょうか。
なので、失敗をおそれないということの鍵には、自己存在の肯定が大きく関与すると思わずにはいられません。ですから、このタイトルにある「人は逃げ込める存在があって初めて、強くなれるのかもしれない」と思うわけです。
最後に・・・
フルーツバスケットでこんな記述があります。
側に 近くにいて
俺の
こんな俺の言葉をきいてくれた呆れるでも
叱るでもなく何度も
何度も・・・何度も
受け止めてくれた・・・(略)
だから
嬉しかった・・・他人の弱音を嫌な顔ひとつしないでじっと
きいてくれたこと受け止めてくれたこと
弱い人間も存在るんだってことを
否定しないでくれたこと・・・嬉しかったんだ
安心 したんだ・・・高屋奈月『フルーツバスケット』 第85, 86話
ここまで読んでいただければ、この言葉を発した由希の心理を、きっと追うことができるのではないかと思います。
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Comments:4
自分は自己愛を理解はしてますが、持ってるかどうかになると難しいところです。歪んだ自己愛なら確実にもってますがw
自分の中で生きるモチベーションの1つに『世界は自分を中心にまわってる』っていう考え方があります。正直198Ⅹ年以前の存在すら疑った時期がありますよw
これは歪んだ自己愛ですかね?でもこの考えって意外に大事だと思います。もちろん中心だからって横柄な態度を取るつもりは毛頭ないですよ。ただ自分の人生をひとつの物語として捉えるときに、ほかの人の主演ドラマの脇役ではなく、どんな内容であろうと主演でありたいっていうだけの話です。
>失敗しても大丈夫。失敗しても、存在は否定されない。
失敗するやいなや自己否定に走りますが・・・w他の人が何か言っても所詮は他人事だからっていうのがあってそれを聞き入れることができないんですよ。
>フルーツバスケットでこんな記述があります。
漫画とかドラマのキャラクターは自信を持つべき要素をたくさんもっているので自己愛の部分については到底感情移入できないんです。
コメントの返信が遅くなってしまいごめんなさい。
お書きになった世界は中心に回っているということですが、自分も非常に重要なことだと思います。
というか、
> ほかの人の主演ドラマの脇役ではなく、どんな内容であろうと主演でありたいっていうだけの話です。
これは、以前からそのように思っていました。
ただ、そこにはそれに応じた「責任」ということも生じるかと思いますが、これについてはどこかで。
> 他の人が何か言っても所詮は他人事だからっていうのがあってそれを聞き入れることができないんですよ。
確かに他人事だと思います。
うまく答えることができないのですが、それでも、恋人さんに存在を肯定してもらいたくありません?と返してしまうのはダメでしょうか???
他人事だとして考えるのは、そこに、実は他人の依存への恐怖がありはしませんか?
そういうことで依存してしまえば・・・と。
> 漫画とかドラマのキャラクターは自信を持つべき要素をたくさんもっているので
全く心に響かないであろう言葉、オーソドックスな言葉で答えるとすれば(したがって、これで納得していただくつもりはさらさらありませぬ)、誰にでもコンプレックスになる部分はあって、それは他人の尺度では測れないですよね。
もう一つ書くと、自信を持つべき要素 = うらやましいと思う要素 = 自分にはない、自分は得ることができないと思っている要素・・・あれあれ???自己愛の部分に戻ってくる気はしませんか?
まだ何か抜けている気がします。もやもや感がすごい残っています。
なんか返信を考えていたんですけど、うまくまとまらないのでもうちょっと整理してから書きます。。。今年もお世話になりました。
ではよいお年を・・・
なかなか難しいですよね。
こちらもお世話になりました。
よいお年を。
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[...] 以前、人は逃げ込める存在があって初めて、強くなれるのかもしれないのエントリにも書いたような気がしますが、やっぱり私は存在を肯定されて、心の中が動き出すということが多分にあると思うのですよね。心がエネルギーに充ち満ちるというか。そこに感情移入もするのかもしれませんね。 [...]