ありのままを受け入れることは、シンプルであるんだけれど、それがくしゃくしゃな無意識によってねじ曲げられて、難しくなっちゃう。

 うたた寝をしながらとある人の夢を見た。

 はっと起きて、ふと考えた。もしかしたら、自分はその人を受け入れる受け入れるといって、受け入れるふりをして、実は変えようとしているのではないかって。

 「あるがまま」の仮面をかぶった、押しつけになりそうな、そんな気がした。とても自分がかっこわるく思えた。
 
 
 そんなことを思って、親友にメールしたら、こんな答えが返ってきた。

あるがままを受け入れるってあるがままを意識しないで、それでもふつうに、相手もあるがままで、自分もあるがままに振る舞えるってことなんじゃないかと思う。あるがままって状態があるってことを忘れちゃって初めてあるがままを受け入れてるんじゃないかな。仏教ちっくだけど。

 正直、頭をがつんと殴られた感じだった。はっとした。とてもいい親友を持ったと、いつもながらに感謝した。
 
 
 最近は、自分が親友だと思えば親友だと思うことにした。だって、相手がどう思うかは相手の自由なのだから。自分は親友だと思っていて、相手がたとえそう思っていないとしても、それは別に傷つく必要もないこと。自分は相手を親友だと思って行動すればいいだけのこと、ただそれだけのことなんだって思う。

 逆に自由だからこそ、「両想い」になれたのなら、それはとっても嬉しいこと。相手の意志なのだから。そこには押しつけも、脅しも存在していない。