「ウェブ時代をゆく」をようやく読み始める2

 相変わらず、思考のブラウン運動を感じるままに記していきます。そのため、乱文で申し訳ありません。

 ウェブ時代をゆくを中断して(読書中にもだえると中断して頭の中で感覚を咀嚼しようとします)、今、ほぼ日刊イトイ新聞の糸井さんとイチローの対談を読んでいて、やっぱり同じこと言ってるんですよね。対談の「ヒット一本が、どれだけうれしいか。」というタイトルもそうなんだけれど・・・

ヒット一本が、どれだけうれしいか。

自分が自分でなかったことに、
気づけたということ。

それはつまり、
「自分がやっていること自体よりも、
 世の中の人に評価をされることを
 望んでいた自分がいた」
ということです。

 まだ全部読んでいないのですが、彼は確かにお金をしこたまもらっているけれど、本当の目的はそうじゃないと思います。だって、ずっと野球続けたいって言っていたし。

 彼の場合は、(星飛雄馬のように育てられたんだっけかな 1 )楽しみを徹底的に追求した結果でしょうか???

 少し話をずらすと、イチローはヒット1本への感受性?みたいなものが他の人よりも遙かに高いのではないか?そうタイトルから感じました。これは、今読み途中の本、大数学者アンリ・ポアンカレの「科学と方法」 2 にも記述されています。

科学と方法
著者: アンリ・ポアンカレ
ページ数: 321ページ
出版社: 岩波書店
発売日: 1953年10月

すべての真の数学者が知るところの真の審美的感情であって、実に感受性に属するものであろう。

 もしかしたら、楽しいと思えることは、美的感覚と同じことか?イチローはヒット1本にかける感受性を自らをして向上させていったのかもしれません。

  1. それが嫌だと言っていたような気もするのですが、それを考えていたらふと、wikipedia: 性的嗜好を思い出しちゃいましたよw。ここのくだりです。

    イギリス人は18世紀、19世紀頃には、教育の厳格さで有名であり、子供を鞭打って躾をしたが、その結果、当時のイギリスの男女は成人した後、性的行為において、相手を鞭で打ったり、自分が鞭で打たれたりすることが嗜好である人が多数いた。

    []

  2. ポアンカレ予想を生み出したり、三体問題は解析的に説くことができないというようなことを証明した []