書評: 日日是好日 —「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

日日是好日 —「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
著者: 森下典子
ページ数: 237ページ
出版社: 飛鳥新社
発売日: 2002年1月

 本棚にしまっておいたこの本を何気なく取り出して読んだ。読み始めたらあっという間に読み切ってしまった。

 改めて、知の有機性というか有機的つながりの大事さを感じた。だからこそ、自分はできる限り学問領域をとらえる上では区別をしても、文系・理系などというある種ルサンチマン的な区別(多くの場合はそうされているような気がします)はしたくない。

 内容は、お茶、茶道を通してみたエッセイと言うところであろうか?

 お茶にはたくさんの「しきたり」があるようであるが、最初はその「しきたり」の理由・意味などは問わずに、むしろ考えないようにして、それをひたすらただ言われるがままになす。最初はその言われるがままにするという態度に反発を抱いていた作者も、ふとある瞬間、その理由・意味などに気がついていく。

 この点については冒頭のこの表現が秀逸である。

 どしゃぶりの日だった。雨の音にひたすら聴き入っていると、突然、部屋が消えたような気がした。私はどしゃぶりの中にいた。雨を聴くうちに、やがて私が雨そのものになって、先生の家の庭木に降っていた。

(「生きてる」って、こういうことだったのか!)

 ザワザワッと鳥肌が立った。

 お茶を続けているうち、そんな瞬間が、定額預金の満期のように時々やってきた。何か特別なことをしたわけではない。どににでもある二十代の人生を生き、平凡に三十代を生き、四十代を暮らしてきた。

 その間に、自分でも気づかないうちに、一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。コップがいっぱいになるまでは、なんの変化も起こらない。やがていっぱいになって表面張力で盛り上がった水面に、ある日ある時、均衡をやぶる一滴が落ちる。そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちたのだ。

 そしてただ単に気がつくのではなくそれらが有機的に線になっていく。それが積み重なっていくうちに、自分の内的成長にも気づいていく。

わかってみると、その流れは、徹底的な合理性に貫かれていた。さまざまなことが、ストンと腑に落ちた。すべてのことに理由があり、何一つ無駄ではなかった。

 「茶事」は、私たちが毎週、稽古してきたことの集大成だった。

 先生の家には毎回その日にあった掛け軸がかかっているのであるが、タイトルにもなっている「日日是好日」の掛け軸は毎回かかっている。その意味にに気づくというか発見したときの著者のその感触を、自分にもありありと感じられたような気がする。言葉には言葉以上のものが詰まっているのであった。

 この本で改めて学びと言うことがなんなのか?ということを思い出させてもらったのと同時に、東洋哲学のすばらしさ、そして日本語の美しさにも触れられたような気がする。非常にすてきな本である。

 気づくこと。一生涯、自分の成長に気づき続けること。
 「学び」とは、そうやって、自分を育てることなのだ。