書評: 量子論の発展史

量子論の発展史
著者: 高林武彦
ページ数: 376ページ
出版社: 筑摩書房
発売日: 2002年5月

 この本は量子力学を形成する過程で物理学者たちがどう考えたために、現在のような形式になったかを記すものである。

 これはたぶんすごい名著だと思う。たぶん、だと思うと書いたのは、わたしがこれを理解しうるまでの頭が今のところないから。しかしながら、名著だということはわかる。なぜか?

 平行して読んでいるポアンカレによる「科学と方法」や「科学の価値」なので記されている部分を引用した方が話が早いであろう(旧字体が使われていない「科学の価値」から引用する)。

たとえば、連続関数の観念についてのいままでのいきさつを考えてみよう。はじめのうちは、これは感覚的な映像、たとえば、黒板の上に白墨で描かれた連続的な線の映像にすぎなかった。その後個の映像はしだいしだいに洗練され、やがてはこれを用いて、いわば最初の映像のすべての線を再現してみせるような、複雑な一連の不等式を構築するようになった。この構築が完成すると、いわば足場をはずに、かつては一時の支えとなりその後は不要となってしまったあらっぽい表現は棄ててしまわれる。もはや、この構築それ自身、論理家の眼にも非難の余地のない構築それ自身だけしか残っていない。

科学の価値
著者: Jules-Henri Poincaré
ページ数: 305ページ
出版社: 岩波書店
発売日: 1977年5月

 つまり、できあがった物理学(だけではないが)の本を読むとなぜここがそうなるのかがわからない場合が多い。ただ単に天才がこうだと言ったんだからこうなんだ!みたいなある種の思考停止的なことを言われているような気がしないでもない。もちろん、ニュートン力学のF = maがどうしてこうなんだと言われたら、それで説明が付くからとしか言えないのかもしれないけれども、ある程度この現象がこうであるから、こうならなければならないという必然性、哲学的部分がわからないと理解したとは言えないのではないかと考える。

 こういった本は、今までの歴史には色々と紆余曲折があり、こういうことを説明するにはこうでないとダメなんだということを示してくれるので、とてもためになる。

 今までの自分に決定的に足りなかったことの一つは、なぜこうなるのか?ということを理解していなかったということがあまりにも多すぎたということであったと今は思う。子どもの頃から理解しないでおいても放っておいてしまったように感じる(暗記が特に得意というわけでもないので、文字通り放置)。わからないと諦めていたのである。と、過去を憂いでも全く仕方がないので、今からやるしかないのだけれど。

 筑摩書房はほかの出版社で絶版となってしまったものをこうして復刊してくれている。本当にありがとう。

 目標まで残り185冊。