書評: ソニーをダメにした「普通」という病

ソニーをダメにした「普通」という病
著者: 横田宏信
ページ数: 190ページ
出版社: ゴマブックス
発売日: 2008年2月

 非常におもしろかった。改めて、自分がSONYが好きなことを知った。

 著者はSONYで部品検査部署に入り13年間働いた後、外資系企業などに勤め、企業コンサルティングをおこなっている。そして、古巣であるSONYに対してもコンサルティングをおこなうことになって、現状のSONYを目の当たりにする。

 この本で、かつてのSONY(失礼だが)が如何におもしろいことをやろうとしていて、普通ではないことをしようとしていたかが慣習や仕組みによりよくわかる。かつてのSONYは今のAppleやGoogleの元になっているかということも(Googleが直接意識しているかどうかは定かではないが)。

 実は話が出てくるわけではないのだけれど、現在のAppleが如何にこの「普通」という病にならないように経営がおこなわれているかということがよくわかる。スティーブ・ジョブズがAppleに復帰して、PDAのNewton始め様々な事業を中止し本当に必要とする事業だけを残し今に至るその間にやった、やっていることは、まるでかつてのSONYがやっていることのコピーなのではないかと思える。

 iPodとiTunesが台頭した時に浮き彫りになったのだけれども、実はコンテンツを持っていることはハードウェアメーカーにとってはアキレス腱になる可能性が大きいのかもしれない。コンテンツを持つグループ内の他の企業がある為に、過度に著作権保護をおこなったり、むしろコンピュータでは扱えなくしたりしたことが、iPodに破れた原因の一つであると考えられるから。

 これは本書にさらりと書かれていることだけれども、逆にAppleは自らコンテンツを持とうとはしていない。iTunes Storeはあくまでもユーザーとコンテンツを結びつける為の窓口でしかないし。このためにAppleは自らがいいと思った製品を誰にもはばかられることなく、出すことが可能となっているように見える。

 以前から思っていたことで、これも本書に書かれているのだけれど、そういうコンテンツ事業とか他のエレクトロニクスに関係ない事業が多すぎるし、企業として大きすぎるように感じる。Microsoftもそうだけれど、大きすぎると動かすのが大変で大きな変化に追従できないように見える。

 あと会社としての一つの軸を持つこと、今、それは選択と集中と呼ばれるのかもしれないけれども、やはりこれは非常に大事なのかもしれないと感じた。そして、その軸はある種、抽象的なものであることが望ましいのではないか。

 何が言いたいのか?

 AppleはMac OS Xという軸があったからこそiPhoneを作ることができた。Googleは検索という軸があったからこそ、これほどまでに繁栄し、今も世界にある情報をもれなく分類するという使命に向かって突き進んでいる。MicrosoftだってなんだかんだいってもWindowsというOSがある。こういうなにか基盤となるもの軸となるものがあるところは本当に強いのではないか?と思わずにはいられなかった。

 日本にはかつて人と違ったことをやろうとするSONYがあった。過去に思いを馳せても仕方がないのだけれども、いいたいのは決してそういうことができない民族ではないのだということである。少なくとも自分はそう信じるし、言い聞かせようと思う。人と違ったことはできると。

 この本は何度も読むことになりそうだ。

 目標まで残り174冊。