失敗の輪郭

 林信行氏が「失敗に学べ」というなかなかステキなエントリを書いている。

nobilog2: 失敗に学べ

 今まで失敗は成功の元という言葉は良く聞いてきて、それらはたとえばエジソンなどの例を挙げたりとか、ある程度納得はしていたのだけれども、なかなかそれを許せない自分がいるということもまた(わたし個人の)事実である。

よく考えてみたら、失敗を経験していない人よりも、失敗を経験した人の方が、経験も豊富だし、注意深くなっているし、投資対象としても、信頼がおけそうなものなのに、日本の失敗してしまった悪者が、無情にも殺されるガッチャマンやら仮面ライダーでも見過ぎてしまったのだろうか。

 なぜだかよくわからないけれども、この林氏の言葉がストンと胸に落ちた。いや、実際はこの文章を読みつつ、読んでいなかった。注意深くなっているしという部分まで読んで、自分は、ああ失敗によって物事の輪郭が鮮明になったり、物事に対する感度が爆裂に上がるのかもしれないなと思った。その時点でこのエントリを書き始めようと思ってblogを開いていたのだった。

 以前「己と道具を知ること」というエントリで、理解していることとしていないことを明確にすることが非常に重要なのかもしれないと書いたのだけれども、失敗によってそれ以上に失敗を分析することによってその理解していなかったことが明確にわき上がってくるのかもしれないと感じた。

cocoa*life » 己と道具を知ること

 失敗を恐れないようにという。わかっていても恐れてしまう。もう恐れる恐れないとかの問題にしないで、失敗しても良くて、それによってより問題は輪郭になって本質がえぐり出されるともっとプラスの方向で考えた方がいいのかもしれない。

 そしてもう一つこのエントリから感じたのは、いくつかの場面から抽象化することは、抽象化した事柄から実際の場面を想像することよりも簡単なのかもしれないということだった。もし仮に本質的な抽象化された「真理」を知り得ていたとして、ある場面に出くわしたときに、切り口がないとその「真理」が適用できるかどうか気がつかない恐れはないだろうか?(ないかもしれないw)

 上で実際の場面を想像すると書いたのは、その多様な切り口を持つ必要があるであろうということで、至極当たり前な結論である。けれども、今まで抽象抽象と抽象化することばかりを考えていた自分にとっては大事なことかもしれないと思えたのだった。