岩田さんの働く論の純粋さ

敢えて働く論というなさそうな言葉を使ってみました。

昨日まで「ほぼ日刊イトイ新聞」にて、任天堂社長の岩田さんと、糸井さんの働くことについての対談が順々に掲載されていっていました。

星空の下の仕事観

この二人の対談はやっぱりいつもステキで、今回のもステキなんですがもう少し気づいたことがありました。二人ともすごく純粋なんですね。すごく。

私のそういった姿勢というのは、
自分が30代前半のころに
糸井さんと会って学んだことなんです。
自分より10歳年上の糸井さんが、
自分の知らないことをできる人に
すごく敬意を持って接しているのを見て、
「かっこいい。ああなりたい」って思ったんです。

きれいなものもきたないものもわかった上で(ここの部分は憶測ですが)、それでもきれいでいたいというような純粋さが見えるような気がします。

よく世の中はそんなにきれいごとではすまないという言い方もされますが、それはもしかしたらその人が傷ついたことによるあきらめなのかもしれないなと。きれいなものもきたないものも見てきて、その上でそれでもきれいなものを取ろうとするのはとてつもなくすごいことなのじゃないかと思います。

でも、本当はその対談にも書いてあるようにこのように考えることが実は一番楽しかったということだけなのかもしれません。