重い話を聴く方法

5年前は重い話を聞いても、自分自身に遙かに余裕がなかったということもあって、自分自身がさらに重くなるだけで、いやになって逃げ出した。

さっきとある人の重い話をメールで返信しつつ自分を観察して思ったのは、重い話に対して何か良い案を出そうとするから、自分の中でさらに重くなってしまっていやになるということ。いわば???、食物連鎖の濃縮みたいなことが起こっていた。

重い話を聞く → どうしたらいいかとか案を考えようとする → いいように思いつかない → 無価値感を感じる → いやになる

もしくは

重い話を聞く → どうしたらいいかとか案を考えようとする → よかれと思っていったことが相手に対してさして意味をなさない → 無価値感を感じる → いやになる

もしくは

重い話を聞く → どうしたらいいかとか案を考えようとする → 何回も同じ話を繰り返される(相手の中でまだ消化できていないということ)→ 無価値感を感じる → いやになる

これは男性的な問題解決思考によるもの。

少し横道にそれて、一方で女性的な思考をしてみる。

重い話を聞く → 自分は似たような経験ではこんなことを思ったよという同情をする → 私はもっと大変なんだからという無意識の競争が起こる → 問題(物理的な問題というよりも心の上で)は解決されない

閑話休題。

「いいこと」をしようとすればするほど自分が消耗して、結果的には何も意味をなさなくなる。

だから、そうじゃない。
そうじゃなくて、まずは「いいこと」をしようなんていう思考を吹っ飛ばす必要がある。
問題を解決をするのは、心の上だろうが、物理的であろうが、その相手。
前に河合隼雄氏が心理療法家になりたいという人は、救おうとして結果的にダメにするというのを書いていたのを思い出す。

「いいこと」をしようなんていう思考を吹っ飛ばしたら、できることなんていうのはほとんどなくて、ただそばにいる、共感する、放置する(見守る)、逃げるぐらいしかないのではないか?

共感ということにフォーカスをすれば、ただ単にこんな風に考えているのかなぁと思いつつ言葉を返す。
本当は相手の言葉の中の閉じた世界の中だけで言葉を発すればいいのかもしれないけれども、それは時間がかかるかもしれないから、相手の発する言葉を含みつつ、もしかしてこう思っている?と少し自分の想像力を働かしてみる。

それが無意識的にできるようにならないかな。