書評: とかげ

とかげ
著者: 吉本ばなな
ページ数: 179ページ
出版社: 新潮社
発売日: 1996年5月

 「デッドエンドの思い出」に続く(あくまで自分が読んだ中で)吉本ばななの2冊目。

書評: デッドエンドの思い出

 吉本ばななは本書の後書きで、この本のテーマの一つが「癒し」だと書いたのだが、実際に読んでみて確かに肩の荷がするすると降りていく感じはあった。

 この本は6編の変化の兆しの前に立った人々がもがき苦しみ、そして新しい道を見出そうとしていくというショートストーリーの集まりなのだけれども、どの話をとってもこれというところが抜き出せないような、すべてが絶妙につながっていてどれかを抜き出すとそのほかがこぼれ落ちてしまうような、自分にとっては漢方薬のような本だった。

 それでも一カ所を抜き出すとしたら、ここだと思う。

 自立とは、結婚とか独り暮らしとか、そういうことではないのだ。全然違う。結婚して家庭を出ていて子供がいても親の陰を背負っている人を大勢見た。それが悪いということはないけれど、とにかく自立ではないのだと思う。

 昭と出会ってからはじめてそのことを知った。それは、昭と新しい一対とか家族とかを作った、そういう甘ったるい話ではなくって、昭と出会ってはじめて私は自分がひとりだというさみしいことの本当の意味を知ったということだった。父でも母でも村でも、昭と暮らすこの部屋でもなく、私は私のことを考え、それをしているのはこの世で私だけだということ、ぽっかりと私はここにいて、何もかもを決めていて、ここにしかいない。

吉本ばなな 「とかげ」

 この後に「うまく言えない。」という文章が続くのだけれど、この言葉は作者の素直な感想なのではないかと感じた。実際、このとき、作者自身うまく書けなかったのではないかと。ただ、何となくその匂い感じつつ、その匂いに従って書いたところこの文章になったのかもしれない。

 まだ、自分自身もその匂いを感じてはいるけれども、まだそれをつかみ取るところまではとてもいっていない。

 漫画フルーツバスケットを書いた漫画家の高屋奈月は、その漫画の登場人物すべては自分であるということを書いていた。自分の色々な側面が登場人物になっていると。この小説でも勝手にそう感じた。どの登場人物も、吉本ばななその人ではないかと。

 目標まで残り177冊。