あの「ねじまき鳥クロニクル」を読んでから、読みたくなった村上春樹と河合隼雄の対談本。
物語るとは何か?河合隼雄の語る臨床心理学では、物語るということが非常に重要な意味を持つ。クライアントは今までの不完全な物語を臨床心理士とともに作っていく。その過程で、様々な「意味」について自分なりに価値づけることができるようになり、ゆえに治癒されていく。そんな風に理解している。
そのことの意味は、ニーチェよろしくもしかすると様々な出来事に対して意味を見いだせないことが、もっとも不安になるからなのかもしれない。
これまで人間の頭上をおおっていた呪いは、苦悩そのものではなく、苦悩に意味がないということであった。
そして、この物語るという行為は村上春樹をして村上春樹自身をいやしている。
小説を書くということは、ここでも述べているように、多くの部分で自己治癒的な行為であると僕は思います。(中略)僕はむしろ、自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします。物語を書いている過程で、そのようなメッセージが暗闇の中からふっと浮かび上がってくる—もっともそれも多くの場合、よくわからない暗号で書かれているわけですが。
そして、人はなぜ小説を読むのか?それは、その物語という言語化されたものに対して自分でも気づかなかった深さを知るためだろうか?それが共感するということなのかもしれない。
ねじまき鳥クロニクルの象徴「井戸」それについても語られる。ねじまき鳥クロニクルは井戸によって様々なものが結びつけられる。
人は井戸を掘ることで、深みが出てくる。二人の物事に関する観察はとても深いような気がした。
目標まで残り190冊。
書評: ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編
書評: ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編
書評: ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編