Monthly Archives: January 2008

泥臭さに向き合う

端から見て、これはかっこいいとはとても言えない。あさましささえ感じるだろう。そう。あさましさ。健全なあさましさこそが、報われない20%に足りないものの正体である。報われていないのではない。自分に報いていないのである。

 以前から、自分に足りないものは泥臭さだと感じています。これが一番足りないかもしれない。泥臭いところになると嫌だーと逃げ出してしまう。泥臭い作業なしに得られるものなんてたいしたことじゃないと分かっているはずなのにです。泥臭さに向き合うという姿勢がもっともっと必要になるような気がしています。

 泥臭い作業の後に見えてくるもの、今年はそれにもちゃんと向き合っていけるようになりたい、そんな風に思っています。

出版業界、踏ん張って!

出版業界もはや危険水域 草思社だけでない「倒産予備軍」

 すごくびっくりした。草思社の名前は知っていたし、今Amazonで検索したら、いくつか欲しい本は出てきたし。というか、再建支援というのはあるみたいだけど、どうなるか分からないし、早く買っておかないといけないですね・・・。以前倒産したエクスメディアとは訳が違う・・・。

 他人事のようだが、頑張ってとしかいいようがない。いい本であれば、自分は買うからというしかない。書物というものは人類にとって一番大切なものだと思うので、非常に大きい問題だと感じています。

 絶版が嫌で、読みたいと思ったときに読めるように、本は買うのだけれど、如何せん財力に限界があるのが哀しい。

FirePassのLeopard対応版

 うちの大学は外部からVPNで入るサービスを行うのにF5のFirePassという製品を用いているようです。

 最近までIntel Macに対応していなかったので使いにくくて仕方がなかったのですが、いつの間にか対応したということで試しに使ってみました。ところが、実際に使ってみると接続した瞬間、「FirePassはコネクションを閉じました」という画面がでて接続が切れて、さらに悪いことに再起動するまでインターネットの接続ができなくなってしまいました。

 これは困ったということで、Google先生で検索をしてみたところ、少ないながらも有力な手がかりが。どうも、現時点では正式バージョンではLeopardには対応していないらしいのです。ただし、Hotfixがでていましてそれはhttp://downloads.f5.com/からダウンロードできると書いてありました。

 早速http://downloads.f5.com/にいってみるとユーザー登録をしろとのこと。背に腹は代えられないので、いつも使っている捨てメールアドレスのhotmailを使って登録をしたところ、ありました。

hotfix-86158-88338 6.0.2 HotFix 12/05/2007 Update for Mac OSX 10.5 Support

と書いてあるものをクリックして、HF-86158-88338-1-6.02-ALL-0.tar.gz.encというファイルをダウンロード。

 続いて、HF-86158-88338-1-6.02-ALL-0.tar.gz.encをHF-86158-88338-1-6.02-ALL-0.tar.gzにリネームして解凍。と思ったところ、できない・・・。

 なんとこれはクライアントソフトだと勝手に思っていたのですが、大本にインストールするためのものらしく、あえなく撃沈。。。残念・・・。

マイペースリボの改悪

 先日いつの間にかのカード社会の到来と言っていたのに、いつも使っている三井住友VISAカードでマイペースリボというリボ払いのサービスがあります。

 リボ払いなのですが、リボ払いをする下限をカードの限度額と同じにしておくと実質普通のカードになります。そんなことをしておく意味は、マイペースリボにするとポイントが自動的に2倍になったからなのでした。が、、、このたび改悪が発表されて、2008年の5月よりマイペースリボのポイントは1倍になるようです。

マイ・ペイすリボに関する重要なお知らせ:三井住友VISAカード

 今までは、毎月10回アクセスすればポイントが2倍になるMSNカードを使っていたのですが、途中から面倒だったので、勝手に2倍になってくれる三井住友VISAカードを使うようになりました。そのため、この処置はかなり痛いです。これではこのカードを使う意味はほとんどないなぁ。。。

 面倒でもMSNカードに戻すしかないかなぁ。こちらもいつ改悪になるか分からないけれど・・・。さて、どうしようかな。

書評: 京都流 言いたいことが言える本

 京都に行ってきて、京ことばの美しさに触れて、積ん読にしてあった京都人の人付き合いの本を引っ張り出した。

京都流 言いたいことが言える本
著者: 市田ひろみ
ページ数: 221ページ
出版社: 講談社
発売日: 2006年10月21日

 帯にはこんなことがかいてある。

笑顔で「おおきに」
角を立てないひとことが
京都流おつきあいの極意

はんなりと自己主張

まったくうまい要約である。

 「ぶぶ漬けいかがどすか?」で有名なように、京ことばはなるべく真意を明かさない。ほかにも褒めているのか、嫌みを言っているのかどちらにもとれる言葉を使ったりする。内輪でしか通じない。それが京ことばの敷居の高さを感じさせる。

 京都は1,200年もの間、平和ではない時代など様々な時代を通してきた中で、真意を明かさないことで、どちらに付くかをあからさまにしないことで繁栄を保ってきたと作者は分析する。「敵を作らない」ということが京都の合理性であったのだ。

 この本は「八方美人でええやないか」という節から始まる。自分は「八方美人」という言葉を作った人が嫌いだった。うまく書けないが、私にだけ優しいという人は、いざそういう関係がなくなったときに優しくなくなるのだと思ったから。ほかには、フルーツバスケットの影響も多分に受けているのだろうか?

 敵を作らないために、敢えて八方美人になる。そのために、京ことばの基本は「相手に恥をかかせないこと」だと筆者はいう。たとえば、こんな風である。

 京都には「角掃き」という習慣がある。今はだんだん薄れてきた習慣だけど、私の子どもの頃には、まだこの習慣が残っていた。
「角掃き」というのは自分の家の玄関前の道を箒で掃くときに、きっちり家の敷地の分の幅だけ掃くことをいう。
 間違ってもよその家の前の道は掃かないのだ。
 よその家の前まで掃いてしまうと、
「あなたんところは掃除をしてはらしませんね」
と、恥をかかせることになるからというのが、その理由やねん。

 相手に恥をかかせないために、嫌なことがあっても笑顔とうまい言葉で一度相手を立たせた上で、でもはんなりと自分の伝えたいことは伝える。直接的ではないから、相手も頭にくることはないし、立てられているのだから悪い気もしないという仕組みである。だからこそ、京都の人は自分の意見を角を立てずに通すのが非常にうまいと筆者は書いている。

 そんなことができるのは、昨今の言葉で言えば京都人が空気を読むのがうまいからであろうか?「空気を読め」という論調は、「空気を読め = 自分のいうことに従え」ということだと思っているので、非常に押しつけがましいというよりも暴力的だとさえ思っている。しかしながら、「おもてなし」として自分の方から空気を読むということは非常に大切だと感じた。

 人付き合いは大変だけれど、人は一人では生きていけないのだから、やらなければならない。京都の人はそれをきちんと分かった上で、だとしたらどうしたらもっと気持ちよくできるか?ということを考えて上で京ことばができあがったのかもしれないと感じた。それは、非常に機転の利いた「おもてなし」であったのだろう。

P.S.
 それにしても、この「はんなり」という言葉、言葉自体の雰囲気、発音自体が優雅さを表しているのがすごいなぁと感じる。

ちょっぴり京都旅行

 この土日には所用で京都に行った。日曜日はぶらぶらして観光をした。といっても、寺はほとんど行かなかった。嵐山に行ってもぶらぶら散歩をちょっとしただけで、夜になってしまったということもあるけれど、天竜寺にも行かなかったし。

 京都に行ったのは修学旅行以来だったのだけれど、嵐山にはとても感動した。桂川の美しさと、嵐山の美しさと。京都には前々から憬れていて、京都に住んでみたいと常々思っていた。

 嵐山では湯豆腐を食べた。もちろんご飯はめちゃめちゃおいしかったのだけれど、給仕の方の語尾の「ます〜」という言葉が印象に残った。美しくて。このはんなりとした感じがとっても好き。

 帰宅して地元の駅に着いたときだった。地元の駅に違和感を感じてしまった。こんな感じは今年度行った、名古屋、高知、那須のどこでも感じなかった。今まではああ帰ってきた〜という感じだったのに、京都から帰ってきたときは、なんか違うっていう。そんな感じ。それが不思議だった。

 すごく楽しかったので、また今度はゆっくり時間を取って計画もして行ってみたい。

いつの間にかのカード社会の到来

 初めてクレジットカードを作ったのは、確か・・・イギリスのAmazon.co.ukでナイトライダーのイギリス版のDVDがほしかったからだったと思います。当時、ナイトライダーのDVDはイギリスでしか発売されておらず居ても立ってもいられなくなったのです。

 それで、その頃はほとんどそういうイレギュラーな時にしか使っていませんでした。大学生だったのでAmazonでもそんなに購入できるわけはなく、本当に必要なときにだけ使うという感じでした。

 今は、ほとんど支払いがクレジットカードになってしまっています。ネットショッピングは当然ですが、携帯電話もそうだし、買い物に行っても相当安くなければ(100円とか)カードです。最近は、自分だけではなくてカード払いの人も少しずつ増えてきたように感じています。

 自分の場合は、ネットショッピングが大きいのかなぁと思っています。それまではクレジットカード = 危ないという先入観にとらわれていたと思います。もちろん、使いすぎというのはあるのですが(現に使いすぎてるし)。

 しかしながら、ネットショッピングだとクレジットカードでなければ代引きとかになってしまって非常に面倒くさいし、手数料で高くもなってしまう。それを考えるとカードを使った方がいいかなという心境でしょうか。そうすると、今まではカードを使うことが抵抗があったけれどもならされていって仕舞いには躊躇がなくなる。そうすると、ポイントが付いたり、家計簿の代わりになったりするという良い面も見えてきます。

 ポイントはそんなにたまるものではないという思いがしていましたが、ちりも積もれば何とやらで結構馬鹿になりません。もちろん手段が目的になると危険ですが・・・。

 そんな感じで、気づいたら自分の中ではカード社会が到来していました。

初音ミクオリジナル曲 「ハジメテノオト」を視聴しました

 初音ミクオリジナル曲でこんなにいいと思ったのは初めてでした。いろんな意味でただ感激してしまいました。曲もそうなんですが、これが新しい未来なんだって。

愛が足りない

 昔書いてそのままにしていたエントリは役に立たなくなってしまったので、書き直してアップする。

 愛されるということが足りないのではなくて、自分の中に愛が足りない。

 学ぶこともそうだし、プログラミングに対してもそうだし。その他諸々、愛が足りない。ほかに愛することを探せということなのか?それとも、もっともっと自分の中の源泉を掘り起こすべきなのか?

 前者であれば、当たり前だけれどほかのものを探しまくる。

 後者であれば、一つの方法としてもっと深く追求していく中で離れられなくなる瞬間を待つ。

 自分が試されているなぁ・・・。ほんとに。