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Psychology Archive
やさしさの精神病理
- 2008-08-14 (Thu)
- Life | Psychology
そんな訳で、久々にまともに(終わってるな)本を読んだので、書評でも書きますか。
と書いたものの、アップロードしていなかった。
うまくまとまらなくても、ある程度の期間内でアップロードしないといけないのかも。
10年以上前の本ですが、鋭さは衰えていないし、ポケベルが出てくること以外は別に古さを感じさせなかった。
旧来のやさしさは他人と気持ちを共有するという、いわばねちっこい、この本ではホットなやさしさ。
一方で、現在ではそれとは打って変わって他人を傷つけないウォームな「やさしさ」だとしている。
席を譲ると老人扱いされてしまって傷つくかもしれないから譲らないという「やさしさ」。
敢えて他人にには踏み込まないという「やさしさ」。
半分以上こういった事象が語られており、そこに著者の解釈が所々に入る。
今は昔よりもこの状態から少し戻っているのではないかと思う。
インターネットが出現したこと。
それによって見ず知らずの人と気持ちを同調させることができる。
それは、友だちとか身近な人には「やさしさ」のため言えないことでも、ネット上の見ず知らずの人には言える(かもしれない)。
いま「ぐるりのこと」という映画がやっている。
この映画は子供を死なせてしまい鬱になってしまった妻に夫がずっと寄り添っているということでだんだんと立ち上がってくるという物語(だと認識している)。
今週あたり見に行きたいと思っているところですが、主演のリリー・フランキーがインタビューでとてつもなく重要なことを言っている。
今の人は相手の悪い部分を見るとすぐに別れてしまうから、女性誌の特集は“古い恋をリセットする方法”しかない訳で、“1人とずっと付き合う方法”なんて誰も思いつきもしない。そうやってスカスカな恋愛を繰り返しているんです
この映画の夫婦はこの本で出てくる「やさしさ」を主張する人たちとは全くの逆を行くのだと思う。
とここまで書いて、やっぱり映画を観ないとわからんなぁと思っていたので、続きは映画を観てから書こう(観ました)。
この本の最後には「選択がこわい」ということが書いてある。
これは痛いほどよくわかる。
全ては傷つくのがこわいという、もろさから。
本当に自分自身のこのもろさをよく感じる。
どうしたらこのもろさを突破できるのか?考えてわかるものなのだろうか?
気づいて、目をつむって歩き出すしかないような気もする。
昔と違って少しだけ変わったことは、未来はヴィジョンを持って自分で作って行くものだということに少しだけ気づいたということ。
なんだかうまくまとめられないなぁ。
一つのことに絞って書けばいいのかもしれないけれど。
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機械アレルギーをどう超えるか
- 2008-08-08 (Fri)
- Psychology | Technology
Crêpeをさわってもらったのですが、Crêpe自体の機能というよりも、機械アレルギーがとてもあるということの方が問題だなぁと思いました。
それは今までの機械によってうまくいかなかった(やりたいことと操作が直感的に結びついていない)という失望があるのかもしれないし、よくわからないメッセージを出すということもあるのかもしれないし、はたまた自分は機械に弱いという思い込みがあるのかもしれないし。
人の考え方を変えるのがほとんど無理なことと一緒で、人の発想を変えるのにもこれまたとてつもなく難しい。
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察知力
- 2008-06-25 (Wed)
- Book | Brain | Life | Psychology | Study
今日もモーニング・ページをやりました。
最近は本を買うのを自粛しているのですが、以前新聞を開いて(といっても最近は、日曜の書評と、半分より下側にある本の広告ぐらいにしか興味がないのですが)目にとまったのがこの中村俊輔による察知力。
そのときの広告にはたぶん、この本の裏表紙に書いてあることが書いてあったのですが、タイトルとそれでビビビと来た訳です。
自分より身体能力の高い選手と戦うには、相手よりも先に動き出すこと。そのときに必須なのが、瞬時に状況判断をして正解を導く力だ。それを、中村俊輔は「察知力」と呼ぶ。サッカーでは一瞬の判断が勝敗を決する。彼は、毎日の反復練習と情報収集、こまめな目標設定と自己反省を、特にノートに「書き付ける」ことで、自分を客観視し、この力を磨いてきた。世界から注目される名選手の心身鍛練術は“シンプルなことの継続”だった。
帰りに途中まで読みましたが、サッカーのことしか書いてありませんが、自分はサッカーのことは読んでいません。サッカーという単語を読者が読みたい○○○という単語で置き換えて読むことができる本です。
最初にモーニング・ページの話題を出しました。
この本を読みながら、モーニング・ページのことを考えていました。
あのモーニング・ページの一つの意味は先日も書いたように頭の中をはき出すということです。
そしてもう一つの意味は、自分を客観視するということです。
彼はサッカーノートに自分が考えていたこと、これからしなければならないことを記し、それが客観視することに繋がったと書いています。
試合前に、試合でのテーマ、何を意識してプレーすべきかを書く。
そして、試合が終わったあと、試合を振り返り、試合の感想から始まって、攻撃面でのよかったところ・悪かったところ、守備面でのプラス・マイナス、僕個人のことだけでなく、チーム全体のことなど、気がついたことはなんでも書いた。チームメイトはもちろん、気になった相手選手についても書いた。
明日からの練習で、やらなくちゃいけないこと、補わなくちゃいけないことについても。どんな練習をすれば、足りない点を伸ばせるのか? など、いろいろ考えて書きまくった。
書くという作業をすることで、自分の気持ちや考えを整理できる。それを繰り返すうちに、自分のことを客観的に見つめることができるようにもなった。ノートを書くことで落ち着けるし、過去の自分の歩みが綴られているから、時間が経ってからそれを読むと、いろんなことを再発見できる。
今、ここで心理療法における客観視、そしてこの自分自身の能力を伸ばす上での客観視とを、もう数冊、たとえば苅谷剛彦 著の「知的複眼思考法」などから引用して書いてもいいのかもしれないけれども、あまりにも長くなりそうなので止めておきます。
でも、個人的にはこの客観視ということにかなり注目しているってことが書きたかったのです。
個人的にはかなりすごい本だと感じました。
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重い話を聴く方法
- 2008-06-15 (Sun)
- Life | Psychology
5年前は重い話を聞いても、自分自身に遙かに余裕がなかったということもあって、自分自身がさらに重くなるだけで、いやになって逃げ出した。
さっきとある人の重い話をメールで返信しつつ自分を観察して思ったのは、重い話に対して何か良い案を出そうとするから、自分の中でさらに重くなってしまっていやになるということ。いわば???、食物連鎖の濃縮みたいなことが起こっていた。
重い話を聞く → どうしたらいいかとか案を考えようとする → いいように思いつかない → 無価値感を感じる → いやになる
もしくは
重い話を聞く → どうしたらいいかとか案を考えようとする → よかれと思っていったことが相手に対してさして意味をなさない → 無価値感を感じる → いやになる
もしくは
重い話を聞く → どうしたらいいかとか案を考えようとする → 何回も同じ話を繰り返される(相手の中でまだ消化できていないということ)→ 無価値感を感じる → いやになる
これは男性的な問題解決思考によるもの。
少し横道にそれて、一方で女性的な思考をしてみる。
重い話を聞く → 自分は似たような経験ではこんなことを思ったよという同情をする → 私はもっと大変なんだからという無意識の競争が起こる → 問題(物理的な問題というよりも心の上で)は解決されない
閑話休題。
「いいこと」をしようとすればするほど自分が消耗して、結果的には何も意味をなさなくなる。
だから、そうじゃない。
そうじゃなくて、まずは「いいこと」をしようなんていう思考を吹っ飛ばす必要がある。
問題を解決をするのは、心の上だろうが、物理的であろうが、その相手。
前に河合隼雄氏が心理療法家になりたいという人は、救おうとして結果的にダメにするというのを書いていたのを思い出す。
「いいこと」をしようなんていう思考を吹っ飛ばしたら、できることなんていうのはほとんどなくて、ただそばにいる、共感する、放置する(見守る)、逃げるぐらいしかないのではないか?
共感ということにフォーカスをすれば、ただ単にこんな風に考えているのかなぁと思いつつ言葉を返す。
本当は相手の言葉の中の閉じた世界の中だけで言葉を発すればいいのかもしれないけれども、それは時間がかかるかもしれないから、相手の発する言葉を含みつつ、もしかしてこう思っている?と少し自分の想像力を働かしてみる。
それが無意識的にできるようにならないかな。
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超えてゆく
- 2008-06-02 (Mon)
- Life | Psychology
土曜日にとある人と飲んだ。
普通の人だったので(別に悪い意味ではなく)、果たして話が続くのかな?と内心どきどきだったけれども、話してみたらプライベートのことを普通に話せた。
相手も話しやすかったから、腹黒い自分を見せてしまったけれども話せてすっきりしたと言っていて、本当によかったと思う。
自分は酔っぱらった勢いで相当痛いことを言っていたような気がするが、まあいいかな。
佐藤という芋焼酎が本当においしかった。
そのときに指摘されたのは、「さっきから超えてゆく、超えてゆくといっているけれども、そんなに嫌だったら無理することはないんじゃない?」って。
そんなに自分が超えてゆくということを言っていたなんて気づきもしなかった。
その後色々と考えて、無理をしているわけではないと思った。
ただ自分は、いつの間にか少しずつこういう自分になりたい、こういう日々を送りたいと思うようになっていて、なんとかそれに向かっていけないかと思っているだけだった。
こういう自分になりたいということだから、別に無理をしている訳でもないし、ある意味楽しんでいる訳で、努力している訳でもない。
昔よりも少しだけ、他人との比較を良い意味で脱出しようとしているのが嬉しい。
問題をきちんと見ようとすると、深く追究せざるを得なくて、そのうちに比較から脱出できるのかもしれない。
毎日を過去の自分との微分で考える。
そんな風に過ごしたいと思います。
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川田亜子さんが自殺した件について
- 2008-05-27 (Tue)
- Life | Psychology
なんだかよくわかりませんが、表題の川田亜子さんが自殺してしまった事件が頭にこびりついています。
川田亜子さんは昨日知ったばかりで、というわけで特にファンというわけでもないのですが。
彼女が最近blogに書いていた、生きる意味について聞いてしまったということが引っかかっているのかもしれません。
自分も人ごとではないし。
私は普遍的な生きる意味はないんじゃないかと。
それは残念ながら他の誰かが与えることはできないし、自分自身で見出していくしかなくて。
それは生まれたときに課せられた課題(なんか馬から落ちて落馬したみたいな表現だな)なのかな。
今まで漠然とこれが私の生きる意味と思っていたところで、それが崩れるようなことが起こってしまう。
そういうときにその課題に本気で向き合わないといけないわけで、非常に辛い。
色々な意味でそこで生死が決まって、乗り越えると遙かに成長する。
いわば改めて生まれ変わるための苦しみで、あちらの世界とこちらの世界の際々のところを行くことになるのだけれども、川田さんの場合はあちらに行ってしまわれた。
この生きる意味について他人が与えることができないけれども、一つだけできるとしたら、聞くこと。
でも、それもなかなか難しい。
下手に励ますこともできないし、そんなことどうだっていいんだって、もっと気楽に考えろとも言えない。
こういうときに周りに相談することはできなかったのか?という人はいるけれども、こういうのを言うことは簡単。
それ以前に、彼女は以前のblogでこういうことを問うてお母さんを泣かしてしまったと自分を責めている。
自分が好きな人を泣かしてしまったことで、彼女はこういうことを問うてはいけないのではないかと思ったのかもしれない。
まあ、勝手に推測するのはいけないわけで、しても仕方がないのだけれど、自分は相談される側になれるぐらい強くなれるだろうか?と思った。
どんなことを言われても受け入れられるか、客観的にいられるか。
積ん読になっているこれや
以前読んだこれ
を読んだりして考えないとな。
死んじゃダメだというのは簡単なんだよなぁ。
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日々雑感: 2008/05/12
- 2008-05-12 (Mon)
- Apple | Programming | Psychology
1. iPhone用アプリケーション、Crêpe
Crêpeと名前をつけた(ただ単純にクレープが食べたかったから)iPhoneアプリがある程度できてきて、データベースを使っているので、もっともそのデータベースをどうやって構築しないといけないかということを考えている。
まだ参照カウンタについてよくわかっていない。Instrumentsで見てもメモリリークしまくりのようだ。
それはそれとして、このアプリはかなりニッチなものなので、もっと広く使えるようなおもしろいアプリを作りたいのだけれども、何を作ろうか。
2. 〜ですね、わかります。
「〜ですね、わかります。」っていう表現?があるけれども、どうしてあの表現に対してイラッとくるんでしょうかね?
「こうですか?わかりません><」もそうだけれど、不思議ですね。
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考えてから行動することと、行動してから考えること
- 2008-04-20 (Sun)
- Life | Psychology
あのね、ま、言いづらい話なんですけど、
世の中には「頭のいい人になりたい人」というのが
すごくたくさんいてね、多くの場合、
その人たちが迷惑をかけるんですよ。
なぜかというと、頭のいい人になりたい人たちは、
すごく頭のいいことを考えて、
みんながそれに従えば
世の中がよくなると思ってるんです。
で、法律や、決まりや、
マニュアルをたくさんつくる。
それに従えば幸せがやってくると思って。(略)
そうすると、頭のいい人になりたい人たちは、
「どうして大衆ってバカなんだろう」って
もう、涙を流しながら思うんです。
「だから戦争が起こるんだ」とか言うんです。
でもね、彼らが言うようなことが、
世の中を変えたことは一度もないんですよ。
まあ、変える手伝いくらいにはなるにしても、
本当になにかを変えるようなものっていうのは、
「こっちのほうが美味しかったぞ」とか、
「つかってみたら便利で、もう戻れないや」とか、
そういう「事実が先に突っ走ったこと」ばかりで、
決まりやルールは、あとからできるんです。
自分は無駄に考えすぎてそれで諦めてしまうのかなぁと思います。たぶんそれは無理なんですよね。全く考えなしに始めるのがいいというわけではないけれども、考えてから始めたとしても、始めてから考えても、たぶん実際にやってみるとつまずく。だとしたら先に始めてしまった方がいいのではないかということ。
ただ、考えることは重要でないというわけではなくて、もちろん後でこれはどういうことだったのだろうか?ときちんと抽象化しておかないと次に続かない、その場限りのことになってしまうと思います。
できかけが大事なんだ。できかけが。
それにしても、任天堂はすごいですね。ほんと。任天堂がつっぱしている間はまだ日本も大丈夫、まだまだこういうことはできるんだって思って、勇気が出ます。
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書評: とかげ
- 2008-03-14 (Fri)
- Book | Psychology
「デッドエンドの思い出」に続く(あくまで自分が読んだ中で)吉本ばななの2冊目。
吉本ばななは本書の後書きで、この本のテーマの一つが「癒し」だと書いたのだが、実際に読んでみて確かに肩の荷がするすると降りていく感じはあった。
この本は6編の変化の兆しの前に立った人々がもがき苦しみ、そして新しい道を見出そうとしていくというショートストーリーの集まりなのだけれども、どの話をとってもこれというところが抜き出せないような、すべてが絶妙につながっていてどれかを抜き出すとそのほかがこぼれ落ちてしまうような、自分にとっては漢方薬のような本だった。
それでも一カ所を抜き出すとしたら、ここだと思う。
自立とは、結婚とか独り暮らしとか、そういうことではないのだ。全然違う。結婚して家庭を出ていて子供がいても親の陰を背負っている人を大勢見た。それが悪いということはないけれど、とにかく自立ではないのだと思う。
昭と出会ってからはじめてそのことを知った。それは、昭と新しい一対とか家族とかを作った、そういう甘ったるい話ではなくって、昭と出会ってはじめて私は自分がひとりだというさみしいことの本当の意味を知ったということだった。父でも母でも村でも、昭と暮らすこの部屋でもなく、私は私のことを考え、それをしているのはこの世で私だけだということ、ぽっかりと私はここにいて、何もかもを決めていて、ここにしかいない。
吉本ばなな 「とかげ」
この後に「うまく言えない。」という文章が続くのだけれど、この言葉は作者の素直な感想なのではないかと感じた。実際、このとき、作者自身うまく書けなかったのではないかと。ただ、何となくその匂い感じつつ、その匂いに従って書いたところこの文章になったのかもしれない。
まだ、自分自身もその匂いを感じてはいるけれども、まだそれをつかみ取るところまではとてもいっていない。
漫画フルーツバスケットを書いた漫画家の高屋奈月は、その漫画の登場人物すべては自分であるということを書いていた。自分の色々な側面が登場人物になっていると。この小説でも勝手にそう感じた。どの登場人物も、吉本ばななその人ではないかと。
目標まで残り177冊。
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書評: 愛するということ
- 2008-03-08 (Sat)
- Book | Life | Psychology
「愛とは技術だろうか。」本書はこの言葉から始まる。
数ヶ月前から、どうしたら愛することができるのかということを考えている。そしてplaisir.genxx.comというサイトで「独身女性の性交哲学」という本の書評を見たときに、本書が取り上げられていて、そういえば本棚にあったなぁと思い出して読み始めたみた。
独身女性の性交哲学 / 山口みずか – plaisir.genxx.com
以前書いたかもしれないが自分自身の過去を鑑みて、愛されたことで倖せになったのかどうか?ということを考えると、実はそのときはあまり倖せではなかったと感じていた。一方で、そんな中でもふと自分から愛情がわき出しているなと感じたとき、それはとても倖せだと後からみたら感じていたのだなということに気がついた。それからというもの、どう考えても愛されるよりも愛することの方が倖せだということになって、人と付き合ったときにどうして自分は十分に愛せたと思えるほど愛せないのか?ということを考え始めたというわけである。
この本ではわたしは非常に重要だ思うことが呈される。
ヴィクトリア朝時代には、他の伝統的な社会の場合と同じく、愛は、結婚へと至ることもありうる自発的な個人的体験ではなかった。それどころか、結婚は双方の家あるいは仲人によってまとめられるものであり、そうした仲介者がいなくとも話し合いによって取り決められるものであった。結婚は社会的な配慮にもとづいて取り決められるものであり、結婚した後ではじめて愛が生まれるのだと考えられていた。
Erich Fromm 『愛するということ』
このことはある一面において真実かもしれないと思っている。根拠がないのが説得力に欠けることであるが、考えられてきたというのはある程度確信を持って信じられてきたということだったので、現在の「ロマンティック・ラブ」(というそうな?)が一面において真であるような程度に真であるような気がする。
であるとしたら、なぜそんなことが起こるのか?ということが問題となる。つまり冒頭に挙げた、「愛は技術だろうか?」という疑問に行き着くのである。そして、この本はそれを真であることとして話を進める。
心理学、西洋哲学、東洋哲学、あらゆる方面から様々なたとえば母親による愛、父親による愛、兄弟愛とか神との愛、そしてお得意の(笑)自己愛などを考察する。著者の東洋哲学と融合させた一神教観は非常に見事なものだと思えた。
最近、田中メカ著の「キスよりも早く」という漫画を読んで、さらにこの本の内容を考えた。
あらすじは、教師の尾白一馬(24)と両親を亡くした生徒の梶文乃(16)が「キスよりも早く」結婚してしまうという話。その生徒には弟、鉄兵(4)がいて、その弟を守るために、養ってもらうということで結婚した。最初は特に何も思っていない文乃であったが一馬の注ぐ愛情に惹かれていく。一馬には実はすごい過去があってという、まあありきたりといえばありきたりな展開である。
まさに上に挙げた、ヴィクトリア朝時代云々の話である。
それにしても激甘な漫画であって、こんなのは漫画であって理想論に過ぎないといわれればそれもそうかもしれない。この甘々な展開をニヤニヤして眺めるのもいいのだけれども(実際とてもニヤニヤできる)、メタな視点で見てみるとどうだろう?
すなわち、結論としては当たり前のことになるのだけれども、どれだけうまくいくかというのは、どれだけお互いが愛されることにコミットするのではなく、愛そうとすることにコミットしたかによるのではないか?それは裏返すと、相手のためになりたいという欲求であって、それで相手が喜んでくれると嬉しくなって自分のことが好きになるし、相手のことも余計好きになる。つまりは、愛するということからさらに自分自身の中から、愛情が引き出されるという、ポジティブフィードバックである。
一馬と文乃の夫婦は不器用ながらも、お互いがお互いを喜ばせようとする。役に立とうとする。そして、相手と一緒に喜んだ場面を思い出して、ああこんなにも大好きなんだということを自覚する。この思い出して自覚するというのが非常に強力なポジティブフィードバックになっているようにわたしには思える。
コミットするというのは、今までの自分を超えていこうとすることなのかもしれない。愛そうとすることにコミットしようとしても、実際はたとえば恥じらいであったり、受け取ってもらえなかったらどうしようという不安であったり、そういうものが行く手を阻む。それを強力なコミットで乗り越えようとするのか?過去の自分(過去に受けた傷)を超えていこうとしなければ、できないことである。
本書では著者はコミットという言葉の代わりに「信じる」という言葉を使っている。
愛に関していえば、重要なのは自分自身の愛に対する信念である。つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、他人のなかに愛を生むことができる、と「信じる」ことである。
Erich Fromm 『愛するということ』
そしてコミットすることというのは、過去の自分を超えていくということだということを、このように表現する。
人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しかもっていない人は、わずかしか愛することができない。
Erich Fromm 『愛するということ』
ほかには「ちいさな王子(星の王子様)」では「なつかせる」と表現する。
「ううん。友だちがほしいんだよ。『なつかせる』ってどういう意味なの?」
「それはね、つい忘れがちなことなんだよ。『きずなを作る』といういみなんだ」
「きずなを作る?」
「そうだとも。ぼくにとってきみはまだ、たくさんいるほかの男の子たちとおなじ、ただの男の子でしかない。ぼくにとっては、きみがいなくなったってかまわないし、きみだって、ぼくなんかいなくてもいいだろ。でも、もしきみがぼくをなつかせてくれるなら、ぼくらはお互いが必要になる。きみはぼくにとって、この世でたった一人のひとになるし、きみにとってぼくは、この世でたった一匹のキツネになるんだよ・・・・・・」Antoine de Saint-Exupéry 『ちいさな王子』
そりゃ、通りすがりの人にとっては、ぼくのバラもきみたちと区別がつかないだろうね。でも、きみたちみんなを集めたよりも、あの一輪のバラのほうが大事なんだよ。だってぼくが水をあげたのはあのバラなんだもの。ガラスのケースもかぶせてあげた。ついたても立ててあげた。毛虫だって退治してあげた(チョウチョになれるように、二、三匹は残しておいたけど)。ぐちだって、自慢話だって聞いてあげたし、何もいわないときだっていっしょにいてあげたんだ。だって、ぼくのバラなんだもの
Antoine de Saint-Exupéry 『ちいさな王子』
時間をかけて世話したからこそ、きみのバラは特別なバラになったんだ。
Antoine de Saint-Exupéry 『ちいさな王子』
すなわち愛そうとすることにコミットしなければ、いくら最初に好きだったとしても、時には逆らえずただの人になってしまうのであろう。
そして、愛そうとすることにコミットするためには、同時に受け取ることも非常に重要となる(両面となる)。一馬は文乃の笑顔を十分に受け取って、文乃は一馬から様々なことを受け取って、だからうまく回っていこうとする(実際はうまく回るかどうかはまた少し違うのかもしれないが、ヴィジョンとしては)。これを受け取ってもらわなかったら、やる気が失せるしどんどん負の方向に行くのは容易に想像可能である(その意味で、受け取るということも実は自分を超えていくということになる)。実際過去の自分を振り返っても、受け取らなかった自分は相手をどんどんと負の方向に持って行ってしまった。
そして、このことたぶん人だけではなく、仕事に対しても同じなのだろうと思うようになった。何かおもしろいものを与えてもらうのではなくて、自分がコミットすることでその仕事を好きになっていく。もちろんおもしろいことを自分で探すのも重要なのだろうけれども、それはあくまでも種に過ぎない。その仕事を最大限におもしろく感じるためには、それに対してどれだけ愛そうとコミットするか、育てるのかによるのかもしれない。
これは、茂木健一郎による「脳を活かす勉強法」にも通じる。
あの書評では書かなかったようだけれども(あれはひどい書評かもしれないw)、かの本での重要な点の一つは「どう自分を喜ばすか?」であった。そのために少し高いハードルを掲げて、それを達成することで快感を得るということをしたのであった。快感を得ることで、さらに自発的にやろうとする。それは先に記した、愛したことでさらに愛情が引き出されるということに他ならないのではないか?
さらには、どこかで書いたかもしれないが、先日放送されたNHKのプロフェッショナル仕事の流儀という番組のイチローが出演した回において、イチローは自分自身が満足屋であることを語っていた。何かを成し遂げたときにまずは大満足をして、満足しきる。そうすると次に進むべき道が見えてくると。ただしこの二つの間には、重要な点が一つ隠されているような気がする。満足することで自分が好きになるし、やっていることも好きになるということである。
これらのことは久しぶりに出すけれども、ヴィジョン心理学でも言っていた。
この本?だったか忘れたけれども、仕事に対しても与えることが重要であるというのを読んで、はぁとしか言えなかったのだけれども、もう少し深いところで感じられるようになってきたかもしれない。
いささか多くの文献を引きすぎて非常に長くなってしまったが(すみません)、こんな風に様々なことが実に抽象化すると一点に集まるように絡み合っているのが自分には見て取れる。
愛情というのは強力なコミットを如何にしてするのか?ということによるものではないか?といよいよ思えてきた。それをどうやって自分を超えてコミットすればいいのか?まだ答えが出ていないところではあるが・・・。
目標まで残り179冊。(いつも以上に文章が雑多になってしまってすみません。)
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