Monthly Archives: February 2008

Office 2008 for Macを入れてみた

 普段は文章書きはLaTeXで、スライドはkeynoteです。なので、自分からOfficeを使うことはないのですが、ExcelはExcelを使うしかありません。一応なきゃないで不便なので、Parallels上でOffice 2007を入れて使っていました。が、いちいち起動させるのも面倒だしということで、Office 2008 for Macを導入してみました。

 一部掲示板などでは不具合がかなり多いとのことだったので心配しましたが、起動した限りでは特に問題は感じられませんでした。keynoteではずれていたPowerPointのスライドもPowerPointではきちんと表示されたので、これで十分かなぁなどと思っています。

 2004を使ったことがないのでわかりませんが、初回起動時だけ遅くてそれ以外はそんなに遅いと感じない範囲で起動してくれます(5 〜 10秒くらい?)。

 これでいよいよまじめにWindows上でメインで使うソフトはVisual Studioだけになりました。これもEmacsキーバインドがあるにはあるけれども、中途半端なので、あまり使いたくないところです。Windowsでいいなと思うのはSmartFTPとavisynthなどの動画編集環境ぐらいですかね???自分の中では。

MacBookに導入したソフトたち

 MacBookに導入したソフトたちを書きたいと思います。ほぼ備忘録です。順序は適当。

フリーソフト

  • MacPorts
  • Carbon Emacs
  • mi
  • LaTeXit
  • Xcode
  • Firefox 3
  • Audium
  • Skype
  • Remote Desktop Connection
  • Yahoo! Widgets
  • sshfs
  • Skitch
  • R
  • delimport
  • Twitterriffic
  • Perian
  • Flip4Mac
  • VirtualHub
  • VLC
  • MPlayer OSX
  • Growl
  • Google Earth
  • Joost
  • Lingon
  • iPalette
  • Monderium
  • PTPClipboard (シェアウェア部分は使っていない)
  • ImageWell
  • Flare
  • DockSwitcher

シェアウェア

  • Mac OS X 10.5 Leopard
  • iWork ’08
  • Illustrator CS3
  • ATOK 2007
  • OmniGraffle Professional
  • ChemDraw 11.0 Pro
  • Mailplane
  • Parallels Desktop for Mac
  • VMware Fusion
  • Papers
  • DivX Pro (無料キャンペーンの時に登録した)
  • SpanningSync
  • Amnesty Singles
  • MacPyMOL (education登録してみたけれど、Version 0.99でいいような気もする)
  • Office 2008 for Mac
  • JoinTogether

 どんなソフトかについては気が向いたら書き加えます。

無駄に過ごした日曜日

 日曜日は本当に何もしなくて、なんか無駄に過ごしたなぁと感じました。

 その理由を考えてみると、ほぼ日手帳にやることを書かなかったというのがいちばん大きいような気がしました。雪なんだから、読書をしても言い訳だし、作業をしても良かった。まあ、blogを書いてはいたんですけどね。まだまとまっていないのでアップロードしていません。

 明日から(いやもう今日か)はちゃんとやることができるように、またちゃんとほぼ日手帳にやることを書こうと思います。

セルタッチの箱

 フィルムコーティングされた本を見せるとみんな異口同音にこれいいね!といってくれる(おかげで相方さんも使い始めたらしい)bk1の「フィルムコートサービス」ですが(もうこのためだけにbk1を使っているといっていいくらい)、個人的には待望の「蔵書フィルムコートサービス」も始まりました。しかも、通常のフィルムコートサービスよりも安い1冊100円。

蔵書フィルムコートサービス

 やってもらうためには、蔵書なので当たり前ですが本を送ります。そのためには段ボールにものを入れないといけないの訳ですが、コンピュータ書籍などは大きい本が多い!!!しかも1回20冊以上という制限が付いているので(これはまあ単価を上げるためだと思うので構わないのですが、何度も送るのは面倒だし)、となるとどうしても段ボールも大きくて強いものを用意しないといけません。そこでいちばんいいのはセルタッチの箱なのかなぁと思い出しています。。。

 でもあんまり一箱に多く入れすぎると、どうにも重くなりすぎてしまうのでやっぱり小分けにした方がいいのかもしれません。

音読の効果

 最近は毎日「基本英文700選」の1 〜 100までを音読しています。

新・基本英文700選
著者: 鈴木長十、伊藤和夫
ページ数: 176ページ
出版社: 駿台文庫
発売日: 2002年1月

習慣による身体性と無意識

 始めて10日くらい経ってから、だいぶ慣れてきたので単語カードを見て憶えているかどうかの確認、つまり反射神経を鍛える練習をしてきました。

 最初の日はなかなかできずに60分かかりました。次の日は45分になり、次の日は30分。その次の日は20分ぐらいかな。口が憶えていてくれるので間違えたか間違えていないかはすぐにわかります。なんか変だなぁと感じたときは間違えている。明日は何分でできるようになるかという、この変化は素直に楽しい。やはりこういう卑近なところで自分を盛り上げていくことが大事なのだと感じています。

 もう少し口が憶えてくれたら今度はシャドーイングも始めようと思います。読んでいて、これはどこにアクセントを置いたらいいのか?どこで切ったらいいのかがわからないから。

 そして、昨日から101 〜 200の音読を始めました。つっかえまくりで非常に苦労しました。逆に言うといかに今まで口が憶えていてくれたのか?ということを理解しました。

集中力不足

 今日もいくつかの細々とした目標を立ててやっていたのだけれど、集中力が足りず、集中力があればもっとできるところをできずじまい。無駄な時間がまだまだあるなと感じた。

 集中力を鍛えるのと同時に、集中力が切れたときはほかのことをやるということをもっと徹底してやるべきだと思った。なんかの本で(たぶん「アタマが良くなる合格ノート術」だったと思う)、集中するときの儀式を作ろうという項目があった。

 たとえばペン先を見るとか、指先を見るとか、そういったこと。始まるときの「型」を作るにはなるほどいいかもしれないと思ったが、実際はどうなのだろうか?だまされた(そういえばだまされることは悪いことなのだろうか?)と思って試してみるのがいいのかもしれない。

習慣による身体性と無意識

(なぜかアップロードしていなかったので、アップロードします)

 先日、プロフェッショナル仕事の流儀のイチロースペシャルを観た。だいたいのことは先日紹介した「キャッチボール ICHIRO meets you」という本で知っていたのだけれど、改めてイチローの頭の良さを観たと思う。

キャッチボール ICHIRO meets you

 やはり気になったのは、イチローの持つ身体性と無意識との繋がりの部分。イチローは小学生の時に、毎日欠かさず(本当に欠かさず)バッティングセンターに行き、バットを振りまくっていた。そしてボールを打ち返すことに非常なる喜びを得ていた。きっとそれによって「型」ができたのだと思う。

 そして今も「型」にこだわる。球場に着いてからの練習メニューはいつも同じ。お昼ご飯はいつも同じカレー。そしてもちろん、あのバッターボックスに立つときのぐるっとバットを1回転するときの挙動。

 習慣がもたらす「型」。無意識というのはある種の自動処理のようなものだと思っているので、無意識を利用するためには「型」を作るというのはその実、道理にかなったものなのかもしれない。

 いつも引用するかもしれないが、やっぱり「型」といえばこの文章である。

 英語の力をつける上で、恐らく諸君が真っ先に取り書かねばならないのは、英文法の知識を手に入れる事であろう。何故なら、大学入試レヴェルの英語になると、最早外国人である我々のあいまいな感覚に頼った読み方では、正確に読めないからである。 また大学入試ではそうした読みにくいところを狙って問題とするからである。

 そこで諸君は英文法の知識を武器として、英文を論理的に読み解こうとする。この武器は強力である。この武器を意識的に使うならば、我々は英米人以上に正確に英文が読めるようになるのである。すなわち外国人である我々は、そのハンディキャップをプラスに転じる事が出切るのである。この武器を与えてくれるのが、英文法の授業や参考書である。

 しかし、その手に入れた武器を実際の英文に当ってどう使いこなすのか解らないと武器も効果を発揮しない。そこでこれ等の武器の有効な使い方を教えるのが英語構文の授業である。これにより諸君は「辞書と時間さえあれば」現代英文は殆ど読めるようになる。だが、残念な事に試験においてはその辞書と時間がないのである。どうしたらよいか?

 単語熟語は憶えるほかない。それには、教科書の音読復習と熟語集をやることが必須である。

 時間不足はどうしたらよいか?これについては新しい構文に出会う度にそれを理解し、理解したあとは必ず繰り返し音読して、つぎに同種の構文に出会った時には、 もう考えなくてもスラスラ読めるようにしておかなくてはならない。構文理解が「意識化」だとすれば、これはその後に来る「無意識化」の作業である。これが行われず「理解」に留まるならばすべての文章を意識化して読む為、時間は恐ろしく不足する。

 「分かった」だけでは駄目なのだ。その理解と知識を自分の体の一部のようにしてしまわなくてはならない。

 剣の修行において修行者は初めは剣の捌き方、体の捌き方を細部に至るまで意識化する。しかしその後は繰り返しの練習によりそれを無意識化し、遂には剣も意識されなくなり、己が体の一部と化し、相手の動きに応じて体と剣は自然にもっとも有効な動きをするようになる。こうでなくては勝は得られない。英語の上達とて同じなのである。

 さて、かくて教科書の復習を諸君は行うことになるが、それで充分だろうか?それで入試に出る文型は尽くした事になるだろうか?否と言わざるを得ない。教科書はもともと網羅主義では作ってないからである。だからどうしてもここで網羅する事を最初から狙ったものが必要となる。それが「基本英文700選」なのである。これをやりぬいた人は「これでもう入試で分からない文型はない」と自信を持って言える。

 しかも英文に対するセンスが良くなる。なんと素晴らしいことであろうか。おまけに英作文が大変楽になる。英作文は自分の知っている単語を自分の(貧しい)英文法の力でつなぐ事では決してない。そんな事をすれば、数限りない間違いを避けられないであろう。作文は、モデルとなる文章が頭の中にあって、それを書く場合も同じで、諸君は頭の中にある新聞、雑誌、小説などの豊富な文例をその材料として使っているのだ。英語において、そうした材料を重複なく最小限度で集めたものが「基本英文700選」なのだ。

 これを活用しないのは、もったいない限りである。英語の勉強は、「考え、理解し、憶える」事が大切だが、前二者については授業においては常に今日中央されるし、私もそれを強調する事において人後に落ちないが、後者の「憶える」事の大切さについても、ここで力説しておく。

 しかし憶えるには先ず理解しなければならない事は、言う迄もない。諸君は辞書や参考書を使い、それでも分からなければ英語の先生に質問し、先ず英文を理解し、しかる後に覚えて欲しい。「700選」を覚えた学生が「先生、もう模擬試験では分からない構文はひとつも無くなりました。」 と目を輝かせていって来るのを私は幾度も経験している。諸君にはその喜びを味わって貰いたいのである。「700選」暗唱の効果が絶大なものであることは、やり抜いたものだけが知っている。

元の出典不明 『「700選」暗唱の意義と効果』

 これを読んだのはもう何年も前だが、自分にとっては衝撃的だった(そのくせまじめにやっていないというのが自分らしいが・・・)。「型」と無意識化と創造性のつながりを教えてくれた最初のものだった。

 その「型」を作るには?ということが問題である。「体で覚える」という言葉があるように、身体性を意識しなければならないのかもしれないと最近は思うようになった。ただ頭だけでやっていると、どうしてもぬけが生じる。たとえば、英文暗唱の場合、ただ頭だけでやっているといざそれをテストしてみる段階であまり覚えていないことが多い。声に出してみたり、書いてみたりすると意外とできないのである。逆に、声に出してみたり、書いてみたりして覚えると勝手に体が覚えていてくれる。これが無意識化であろう。

 先日BSで「サウンド・オブ・ミュージック」をやっていた。その中で「エーデルワイス」を歌っていたのだが、ふと小学生の時にリコーダーで練習したときのことを思い出した。あのときはいとこに教えてもらっていたのだが、「エーデルワイス」を何度も練習し、最後には譜面を見ないで吹くことができさらには拍子がきちんとあっていた(と小学校の先生は言っていた)。これで笛吹になったわけではないけれども、これも無意識化だったと思う。

 ほかにも小学校の時には、あの「スイミー」を何度も音読して諳んじることができた。これもたぶん黙読をしていたらできなかったのではないか?と思う。

 小学6年生の時の先生は変わった先生で、色々と暗唱をさせられた。「枕草子」、「方丈記」、「平家物語」などの冒頭、プーシキンの詩、ほかにもいろいろあったが、これらは今でも言うことができる。ここで言いたいのは、物事をするときにもっと身体性を使っていかなければならないと言うことである。

 先日「日日是好日 —「お茶」が教えてくれた15のしあわせ」でも書いたけれど、茶道では自我を入れずにただ、お茶をするという行為を繰り返す。スポーツと違って競争という側面はないので、そんなことやってもなんの役に立つのか?と思われるかもしれないが・・・。

書評: 日日是好日 —「お茶」が教えてくれた15のしあわせ

 東洋哲学というのは、習慣による「型」という身体性を通して無意識にアプローチをする方法を心得ていたのだろうか。

備忘録: A5のキャンパスノート

 最近は持ち歩きのしやすさからノートにはA5のものを使っています。これに、基本英文700選を品詞分解しています。

 ちなみにノートはキャンパスノートではないとダメです。以前はダイエーとかで激安のノートを買ったのですが、書くときに滑りが悪くてイライラします。それ以来、高くてもキャンパスノートです。

 写真のノートは50枚のものなのですが、先日そろそろ終わるなぁと思って買ってきたやつは30枚のでした。書く内容が少ない場合にはそれでいいのですが、この際ラインナップを調べてみました。

キャンパスノートB罫 | 文具紹介 | コクヨS&T

 30枚、40枚、50枚、70枚のものがあるようです。それぞれ型番はノ-103B、ノ-104B 、ノ-105B、ノ-107Bとなるようです。今度は70枚のものを買おうかな。

ゆっくりと諦める

 昨日の目標達成率は80%ぐらいだったと思う。

 嬉しいことに少しずつこころが諦めていってくれているような気がする。何をあきらめるのかというと、ある日突然物事ができるようになるわけではないってこと。

 ある日突然、英語が読めたり話せたりすること。

 ある日突然、プログラミングができるようになること。

 ある日突然、・・・。

 そんなことはないって頭で判っていても、こころで解っていなかったから、続けるということができなかった。なかなかできるようにならない自分に嫌気がさして続けられない。泥臭いことがいやでいやで仕方がなくて、魔法のように泥臭いことなしにできればいいと思っていた。

 なんでだかよくわからないけれど、そういうことは絶対にないんだということがようやく心で解るようになってきたと思う。言い訳をしないって決めたからなのかもしれない。天才という抽象的な、よくわからない言葉に甘んじて、自分を甘やかして、言い訳にしていたから。

 たぶん物事に精通するための必要条件は(もしかしたら必要十分なのかもしれない)、泥臭いことを好きこのんで続けられることと、それによって反射神経を養うこと、そして自分のできることできないこと、理解していることしていないこと、つまり自分の状態というのを正確に把握することなのではないか?と思った。もちろんね、ただ泥臭いことをやればいいんじゃなくて、そこには効率っていう重要な観点も入れなければ、「ただ努力した」ということになって終わる(ドラゴン桜などはそれを示した)。

 今度書こうと思っているのだけれど、先日放送された「プロフェッショナル仕事の流儀」のイチロースペシャルでイチローが2007年に課題としていたことが放送されていた。あのような雲のような存在になってもまだ自分について正確に認識しようとし、自分ができないことを明確にしてそれに対処しようとしている。それがイチローの原動力なのだということがとてもよくわかった。

 先日書評を書いた、「アタマが良くなる合格ノート術」では、ポイントは自分の理解していないことを明確にすることだと書いた。それを今までの自分をしていなかったということをあからさまに感じた。自分のできないことを認識していない → できるところも含めて集中的にやらない → 結果が付いてこない → やる気がますますなくなる。という非常に非効率的な方法だった。

書評: アタマが良くなる合格ノート術

 湯川秀樹が漢籍の素読をやらされたということは有名である。昔の自分はわからない抽象的なことをいきなり習うのが嫌だった。もっとわかりやすくいってくれよ。と思っていた。確かにわかりやすいということも大事なのだけれど、きっといきなり完全に未知な状況に放り込まれても人間の頭というのはついて行けるのだと思った。だって、たとえばいきなり外国に行ってその国の言語について何も知らなかったとしても、見よう見まねで必死になれば使えるようになるのだから(自分はなったことはないけれど、今まで移民とかでたくさんそういう人がいるでしょう)。

 松岡修造は言った。

そんなもんじゃないだろ、お前。
きついのは当たり前だよ。
そこをどうやってプッシュするかだろ?
今までプッシュしたことないんだから。

君が今すごくいいところにいる。
そこの壁を今ぶち破ろうとしてるんでしょ?
世界にいっているやつはもう本当、コート泣きながら、がむしゃらになりながら、いつも苦しいところを突破してずっと頑張っているやつしかいかないんだ、トップには。

 だから、もっともっと自分の頭を信頼して、負荷をかける。それしかないと思う。

(必要だったので一部追記しました。)

書評: 思考の整理学

思考の整理学
著者: 外山滋比古
ページ数: 223ページ
出版社: 筑摩書房
発売日: 1986年4月

 「頭の回転をよくする読書術」に続いて、また同じような本を読んでしまった・・・orz。どうも数を稼ぎたくなると、簡単なのばかり読んでしまったいけない。といいつつも、実は読み始めたのはこちらの方が先。

 やっぱり自分と考えていることはそう差がいように思われて、たとえばある程度考えてから熟成させるのが大事とか(これはだいぶ前から読み途中のポアンカレの「科学と方法」などにも記されている)。ものごとを理解するのには実は経験というか、その生々しい感じを掴むことが大事とか、カードを使った学習法とか、漢籍の素読の意義とか、ほめることとか、とにかく書いてみて思考を整理することとか、まあそういうことが書いてある。

 こういうのを初めて読んだことがある人だったらいいのではないかと思われる。

 加藤周一は「頭の回転をよくする読書術」で読まないことについて書いた。必要のない本は読まない。そろそろ本を選ばないといけないと思う(もちろんほかの本もある)。似たような本ばかりを買っていても仕方がない。忘れた頃に再確認という意味で読むのはいいと思う。

 目標まで残り186冊。